やく束は守もります
携帯電話をポケットに突っ込むと、香月が目を見開いて真っ直ぐ梨田を見ていた。
「転校するの?」
悪さが見つかったみたいに言葉に詰まって、梨田は目を逸らし、小さく頷いた後、打ち消すように首を横に振り直した。
「いつ?」
「・・・今月いっぱいでって」
香月は少し顔を上げて宙を見つめる。
頭の中にカレンダーを呼び出していたようだ。
「あと、一週間、ない」
「・・・うん」
梨田の父親は転勤ではなく、長期の『出張』だった。
それが「どうやら数ヶ月では終わらなそうだ」という見通しで、全員で引っ越してきたのだった。
出張だから仕事が終わればすぐに戻らなければならない。
父は明後日東京に戻るけれど、梨田たち兄妹は切りのいい今月いっぱいは学校に残ることにしていた。
「でも!おれ行かないから!」
「どうして?」
「え・・・だって・・・」
梨田にとって、ここでの生活はとても大事なものだった。
ただのゲームだった将棋が生き甲斐に思えたのも、その将棋に生活のすべてをかけるようになったのも、香月と出会ったからだ。
香月と一緒に棋士を目指す。
それは梨田には当然のことだった。
だけど香月は梨田を責めるような目をして言った。
「東京なら奨励会に行けるのに」
香月の言葉の意味が、梨田にはわからなかった。
奨励会ならここから通う。
池西将棋道場に通って、そのうち小学生名人戦で優勝して、それで奨励会に入って、一緒に棋士になればいい。
梨田から見て、離れる理由はなかった。
「東京に行って、奨励会に入って、棋士になった方がいいよ。男爵は、男の子なんだから」
女性で奨励会を抜けた人はいない。
それはなぜなのか、香月や梨田はわからないけれど、「男だったら棋士になれる」という共通の認識があった。
それでも梨田は、香月が女性で最初の棋士になればいいと思っていたし、なれるものだと信じて疑っていなかった。
「わたしも男の子に生まれたかったな」