やく束は守もります
怒ることも笑うこともしない母親の表情に、香月が息を飲むのがわかった。
きっと今香月が頷いたら、その願いは聞き届けられるような気がした。
そしてそれに応えるべく、香月も人生のすべてを賭けなければならなくなる。
梨田は香月が頷くことだけを、じっと待った。
ところが、香月は少しだけ顔を動かして、街灯の灯りの中に広げられた将棋盤を見ると、そのままゆっくりと確実に、首を横に振った。
「奨励会には行かない」
「なんで?」
香月よりもずっと絶望した声で梨田は言った。
そんな梨田に、香月は固まった顔の筋肉を懸命に持ち上げて笑顔を作る。
「男爵に負けているようじゃ、棋士になんてなれないよ」
香月の母親は、しばらく娘の顔を見ていた。
言葉ではなく、その表情を受け取るように。
そしてしずかに「わかった」と言って立ち上がる。
「さあ、帰りましょう」
言葉を失う子どもたちを、親が促す。
「杉江さん、本当に申し訳ありませんでした。お詫びは後日改めて」
「いえ、香月の意志でもあったでしょうからお詫びは結構です。こちらこそご迷惑をおかけしました。とにかくもう今日は帰りましょう」
雪藪を越えて、それぞれが親の車へと引っ張られていく。
「カズキ!」
母親と兄に挟まれて、足元ばかり見て歩く香月が気がかりで、梨田は大声で呼んだ。
香月は顔を上げ、小さく手を振る。
「また、学校で」