やく束は守もります
『東京なら奨励会に行けるのに』
習い事のような感覚で通えるところではない。
ここから奨励会に行くということは、人生を捧げるという並々ならぬ覚悟が必要なのだ。
そして香月もそのことをよくわかっている。
『わたしも男の子に生まれたかったな』
それでももし、香月が男だったら、無理をわかって一歩進んだかもしれない。
それとも、梨田が勝たなければ、香月は迷いながらも頷いただろうか。
どれもこれも、今更どうにもできないことだった。
「明日、改めて杉江さんの家に謝りに行くからな。よりによってこんな冷え込んだ日に雪の中に連れ出すなんて」
「雪降ってなかったから大丈夫だと思って」
「雪が降らないから余計に寒いんだよ」
雪が降らない日は冷える。
これは雪国に住む人間ならば、誰もが体感で理解していることだったけれど、東京育ちの梨田は知らなかった。
「放射冷却っていうんだ。雲がないから雪は降らないけど、その分直接上空に熱が逃げて行く。今夜は氷点下だよ」
気温の話をする父の言葉を聞きながら、梨田はウインドウ越しに空を見上げる。
あたたかい車内から見るそれは、香月と見上げた宇宙とは違って、ただの闇だった。
「お父さん」
「なんだ?」
「東京にも、将棋道場ってある?」
「選び放題だな」
雪が降らない日は寒い。
泣けずに笑う香月の心も、地上の熱と一緒にあの宇宙へ逃げていったような、そんな気がしていた。