やく束は守もります
▲5手 寒月
長湯で上気した頬を、手の甲で冷やしながら、香月と美優は廊下を歩いていた。
お風呂から上がった人たちは、休憩スペースで飲み物を飲んだり、お土産を見て回ったり、これから寝るばかりだというのに、旅館内は活気に満ちている。
手のひら大の大きな駒の将棋台があって、そこでは小学生の男の子が数人固まって将棋を指している。
楽しげな笑い声を響かせつつも真剣なその横顔を見て、赤いほっぺたの少年に思いを馳せていたから、香月はそれが幻聴ではないかと思った。
「カズキ?」
何度も何度も、テレビを通して聞いた声。
懐かしいなんて思えないほど低くなっていて、その声で呼ばれるのは初めてだった。
まさか、と思って見ると、テレビで、雑誌で繰り返し見続けた棋士が、同じように驚いた顔で香月を見ていた。
「うわー、久しぶり!やっぱりカズキだ!」
一気に破顔して、足取り軽く走ってくる。
その明るい顔にもうクマはなく、全身が内側から発光しているような生命力を感じた。
あまりに驚いて声も出せずにいたので、相手はその反応を誤解したようだ。
「あ・・・もしかして覚えてない?俺、小学校のとき同じクラスだった梨田。途中で転校しちゃったけど」
「あ」
忘れてなどいるはずないのに、そんなことは言えなくなっていた。
隣で怪訝な表情をしていた美優が事情を察して、「私、先に部屋に戻ってるね」と行ってしまったために、向き合うしかなくなってしまう。