やく束は守もります
梨田は目を細めて懐かしそうに、にこにこと香月を見下ろす。
その顔をまともに見返すことができす、もじもじと持っていたタオルを持ち直した。
そのとき左手にはめられた指輪が照明でキラリと光り、反射的にタオルの内側に左手をもぐりこませた。
指輪を見られることが、なぜだかたまらなく恥ずかしくて。
「俺、棋士になったんだ」
知ってる。
そう言うべきなのだろうけれど、香月は白々しく嘘をついた。
「へえー!そうだったんだ!すごいね。おめでとう!」
「おめでとう」だけは万感の気持ちがこもる。
「将棋、好きだったもんね」
「全然覚えてなかったくせに」
「覚えてるよ!こんなところで会うと思ってなかったからビックリしただけ」
梨田はテレビや雑誌で見たままの棋士だったけれど、同じだけ確かにあの〈男爵〉だった。
声は変わっても、見た目もずいぶん大人びても、会話の速度やリズム、選ぶ言葉に自然と反応していた。
記憶の彼方の少年と、憧れの棋士との間が、みるみる縮まって0になる。
「出世したからお茶くらい奢ってあげるよ」
そう言って、ポケットの中をゴソゴソ手で探りながら自動販売機に向かう梨田を、小走りで追いかける。
「それなら、むしろ私にお祝いさせてよ」
「お祝いがペットボトル1本?ケチだな」
「じゃあ、何ならいいの?」
梨田はじっと香月を見下ろした。
幼い頃から背が低かった香月は、小学生のあの頃でさえ梨田に見下ろされていたけれど、その距離が更に広がっていることを実感した。
「・・・すぐに思いつかないから、飲みながら考える」