やく束は守もります


畳でくつろげるスペースも、マッサージチェアも、ゆったりした応接セットのようなものも、休憩スペースにはたくさんの種類があったけれど、香月と梨田は自動販売機の前に無造作に置かれた長イスに座った。

「カズキは、やっぱり女だったんだな」

コーラを一口飲んで、正面の販売機を見たまま梨田は言った。
出会ったとき、単純な驚きで言われたものと同じ言葉は、今どことなく照れを含んだものとして香月の耳に届く。
思わずタオルで浴衣の襟元を隠すと、その反応を見た梨田は失言したことを悟って慌て出した。

「いや!変な意味じゃなくて!昔はほら、女の子って言っても将棋仲間で、越えられなくて、性別とか意識してなかったっていうか」

言いたいことは十分に伝わったので、笑って頷いた。
気恥ずかしさから、買ってもらった烏龍茶を手の中でコロコロと転がす。

「梨田先生は━━━━━」

「さすがにカズキから〈先生〉って呼ばれるのはちょっと・・・」

「じゃあ、〈男爵〉?」

「あはは!それ、懐かしいな」

「全然〈男爵〉じゃなくなったもんね」

「そう?」

「うん。メガネ、かけたし」

本当はもっと言うべきことはあったけれど、浮かんでくる褒め言葉はどれもむず痒くて言えなかった。
香月は烏龍茶でそれらを流し込み、別の質問を投げ掛ける。

「大変だったでしょ?」

「うん。予想より、ずっと」

香月が目指せなかった場所を、梨田は越えてきた。
その短い返答に込められた重みを受け取るように、しばらく黙々と烏龍茶を飲んだ。

あんなに憧れた棋士が、今隣にいる。

それなのに、10年以上会ってなかったのに、梨田と話すことには何の違和感もなかった。


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