やく束は守もります
残りを断って、ベッドに深く沈み込む。
祖母が出て行ってひとりになると、抱き締めるように持っていた紙切れをそっと取り出した。
『やく束は守もります。』
「棋は対話なり」という言葉通り、口には出さなくても盤上では多くの会話がなされる。
それと同じように、特別なやりとりなどなかった梨田との日々は、一緒に過ごした時間そのものが〈約束〉だった。
『必ず棋士になる』
香月はもう、その〈約束〉を果たせない。
香月の進む未来は将棋にはない。
母が安心できるような、女の子らしい女の子になるのだ。
今度会ったら━━━━━
梨田には何も言えなかった。
お礼も、謝罪も、応援も。
言うべきことがたくさんある。
知りたいこともたくさんある。
積もる雪は、音がしない。
風がないだけではなく、雪が音を吸収してしまうのだろう。
ぎゅっ、ぎゅっ、というあの足音も、香月には届かなかった。
見上げる白い天井には、将棋盤ではなく、青いリュックを背負った梨田の後ろ姿が見えるような気がした。
きっと真っ白な音のない世界に、消えて行った背中。
口の中の甘さが消えても、香月の瞼からその幻が消えることはなかった。
『また、学校で』
梨田と交わした約束は、些細なものでさえ守れなかった。
微熱が下がり切らず、梨田の引っ越しに間に合わなかったのだ。
卒業アルバムに、梨田の姿はない。
香月の手元に残っているのは、三年生の遠足で撮った集合写真と、ノートの切れ端だけ。
それも時間の流れとともに、思い出さなくなっていた。
あの声を、聞くまでは。