やく束は守もります
奨励会を思い出しているらしい梨田の表情は、少し影を帯びた。
「苦しかったけど、でも、目指すことすらできない人がいるんだって、知ってたからね」
香月が将棋とともに梨田のことをしまい込んでいたように、梨田も過酷な環境の中で香月のことなど思い出す余裕はなかっただろう。
だから香月だけの話ではない。
環境に恵まれない人も、単純に棋力が足りない人も、そうして将棋の道を諦めた人を、たくさん見てきたのだ。
かつて同じ場所にいた少年は、多くの痛みと苦しみを越え、手の届かないほどの高いところで戦い続けている。
そうして得たお金で買ってくれた指輪は、ダイヤの大きさに関係なく強く輝いて見えた。
「指輪って、こんなに嬉しいものなんだね。いいのかな?一生分の幸せ、使い切っちゃったかも」
「大丈夫。そのうち『掃除機かけるから邪魔!』って、俺のこと蹴飛ばすようになるから」
「ならないよ!」
梨田の右手が、香月の左手を指輪ごと包む。
指と指をしっかり絡めて、骨まで届くほど力が込められた。
「なる。こんな朝がそのうち当たり前になる。当たり前すぎて何も感じなくなるくらい。そうなるまで一緒にいる。絶対」
こんなに幸せな時間を湯水のように浪費できるなんて、なんて贅沢な人生だろう。
梨田の手に包まれる、香月の手と指輪。
こみ上げる感情は複雑に絡まり合って、香月の顔を歪めた。
「香月。まだ返事もらってない」
手のひら側に回ってしまったダイヤモンドが、朝の光にきらめいた。
香月は握られていた手をほどき、梨田の小指に自分のそれを絡める。
そして、溢れ出る涙と笑顔をそのまま向けた。
「ずっと一緒にいる。約束します」