いとしい君に、一途な求婚~次期社長の甘い囁き~
「私のところにも来たよ」
少し嫌悪を感じながら伝えると、母も父もあからさまに嫌そうな顔をする。
母が「秘書さん?」と首を傾げたので、私は首を軽く横に振った。
「社長が」
答えた途端、母の顔が怒りの形相に変わる。
「やだ。あの人、まだ勝手なことしてるの!」
母は多分、色々と知っているんだろう。
いち君のお母さんとお父さんのことを。
「……ママは、いち君のお母さんとお父さんのことどう思ってた?」
尋ねると、気を利かせたのか父が車の準備をしてくるよと言ってリビングから出て行く。
すると母が一呼吸置いて「彼女は、とても綺麗だった」と声色に懐かしさを滲ませて教えてくれる。
「優しくて、あたたかくて。弱いけれど、強くあろうとしていた。そんな彼女から、あの人は逃げてたの。親同士が決めた結婚だったらしいわ。でも彼女は尽くそうとしていた。なのにあの人は好き放題。仕事ができても家庭が円満じゃなきゃダメなのよって、言ってやったことがあったわ」
「え!? 社長に!?」
驚いて思わずソファーから腰を浮かせてしまった。
「そうよ」
「いつ」
「彼女が亡くなった時に、たまらなくて」
私も若かったわなんて苦笑する母。
「でもね、ママ見ちゃったの」
「何を?」
「彼女の葬儀が終わって忘れ物をね、取りに戻ったら! あの人が彼女の棺の前に立って『すまなかった』って」
当時のことを思い出しているのだろう。
母は少し苦しそうに息を吐いて、また言葉を紡ぐ。
「今更何よって思ったけど、まあ、夫婦にしかわからないものとか、あの人なりのなにががあったのかもって思って」
声を掛けることなく、母は忘れ物を手に葬儀場を後にしたのだと言った。