いとしい君に、一途な求婚~次期社長の甘い囁き~
母は水道の蛇口を閉めると、エプロンで手を拭きながらスリッパの音を鳴らしてリビングへとやってくる。
「別にね、結婚や出産だけが女の幸せじゃないけど、幸せのチャンスは逃したらもったいないじゃない?」
ああ、出た。
母の『チャンスは逃すな論』。
昔から母は、『できることは全部やっておけ。でないと後悔するぞ』というスタンスで、それを実行しているアグレッシブな人だ。
で、それを父や私にも押し付けてくる。
もちろん、そうして良かったことはあるけれど、失敗もたくさんしてきた。
まあ、痛みを知ることも大事だと思えるし、文句はないけれど。
きっと、今回も母は折れないだろうと思い、私は長い溜め息を吐いた。
「……わかった。会えばいいんでしょ?」
とりあえず会うだけ。
それで、生理的に無理でしたとか言ってお断りすればいいかなと自分を納得させる。
私の横に立つ母は、顔を綻ばせて旨の前で両手を合わせた。
「沙優ちゃん、さすがね。物分かりがいい子に育ってくれてママ嬉しいわー」
違うの、ママ。
これは諦めというの。
心の中で突っ込みを入れたところで、私はあることに気づく。
縁談相手の情報がゼロなのだ。
「で、相手の人ってどんな人? 名前は?」
年齢とか、仕事とか。
前情報を入手しておきたくて問いかけると、母はにっこりと笑って。
「それは、会ってからのお楽しみよ」
「えええ!?」
その日、2度目の驚きをよこしたのだった。