生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する

52.生贄姫は好みを語る。

 がさっ。

 ぼんやりしていたため、人の気配と音への反応が遅れた。
 リーリエはためらいなく仕込みの小刀を振りかざす。

「……旦那さま」

「リーリエ。お前ためらいなさすぎだろう」

 斬りつけてきた小刀を自身の愛刀で難なく受け止めたテオドールが呆れたようにそう言った。

「いきなり喉元斬りに来る奴があるか。よそでやったら死人が出るぞ」

「申し訳ありません。少々考え事していたので、反射的に動いてしまいました」

 ご容赦くださいと微笑み、淑女らしく礼をする。

「今夜は本邸にお泊りだったのですね。こんなところで、何をなさっているのです?」

 ふわりと笑った彼女は、鈴の鳴るような声でそう尋ねた。

「出ていくリーリエが見えたから追いかけてきた。また調子が悪いのか?」

 心配そうに尋ねるテオドールに、驚いたように瞬きをしたリーリエはフルフルと首を横に振る。

「いいえ、なんだか目が冴えてしまって。ちょっとお散歩をしていたのですよ」

 テオドールを見返す翡翠色の瞳はおかしそうに笑う。

「……なんだ?」

 訝し気に寄せられた眉根とやや不機嫌そうな低音の声。
 だが、テオドールの纏う雰囲気は優しく、威圧を一切感じない。
 ああ、照れているのかと悟りリーリエはクスクスと声を立てて笑いだす。

「いいえ、随分仲良くなったものだなぁって」

 見上げてくる翡翠色の目と視線が合う。

「”俺に関わるな”って、私のこと避けまくっていた当初との違いに、私感動を禁じ得ません」

 全私が泣きそうですと揶揄うように笑うリーリエにバツが悪そうにそっぽを向くテオドール。

「ふふ、私の旦那さまは本当に可愛くていらっしゃる。奥様方が自慢げに若いツバメは可愛くてしかたない、とおっしゃっていた気持ちが今なら理解できそうです」

「……誰が年下の愛人だ」

 若いツバメの意味を的確に理解し言い返してくるテオドールに、

「私の”生徒”は優秀ですね。あっという間に私は不要になりそうです」

 社交会や貴族のマナーに疎いテオドールのために、日々いろんな隠語や暗号などを織り交ぜながら課題を出しているリーリエは満足そうにうなずいた。
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