生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する

「リーリエ様はここで仕事しているとき、彼女に勉強見てもらってる子達がいつ質問に来ても、必ず手を止めて笑って話を聞いてくれるんだ。分からなかったら、何回でも聞きに来て構わないって」

　その上手放しで褒めてくれるのだから、ヒトに慣れていない子どもたちにも慕われて当然だろうとノアは笑う。

「……全部、初めて聞くな」

　それはテオドールの知らない、テオドールのいない時間の本邸でのリーリエの姿。

「口止めされてたからな。きっと気に病むから言わないでくれ、って」

　政略結婚で来たリーリエの事をはじめから手放しで信じていたわけではない。
　むしろ当初は＂生贄姫＂の先行したイメージだけを信じていたかもしれない。
　だけど、とノアは続ける。

「カナン王国で1番上にいた令嬢がさ、何の躊躇いもなく俺達みたいな半端者に頭を下げて、頼むんだ。種族属性を活かした知識と技術を貸して欲しいって。それであれだけ大事にされてみろ。惚れるしかないだろ」

　それでも彼女の人柄と積み重ねていった日常は、大事な主人を任せたいと思うほどの信頼に変わっていった。

「魔術師が、術式組むのにどれくらい時間かかるのが普通なのか知らないけど、リーリエ様はアルカナでリーリエ様以外がその術式を引いても絶対に問題が起きないと確証が得られるまで何度だって引き直していた。その彼女が３日も出てこない。今、あの部屋でリーリエ様はどう過ごされているんだろうな」

　安全性の担保できない魔術式を出すわけにはいかない、そう言い切ったリーリエのそれが魔術師としての矜持ならきっと彼女は妥協を絶対許さない。

「リーリエ様は俺達に親しくしてくれるけど、それでも主人として責を負うためにキチンと線を引く方だ。俺達は結局使用人だから、どれだけ心配でも許可がなければあの部屋には立ち入れない」

　ノアは諭すようにテオドールに伝える。

「お前だけなんだよ、テオ。今のリーリエ様を連れ出せるのは」

　テオドールはノアを見返す。
　ノアは困った子どもを見るかのように笑う。

「テオ、お前だけが今この場で紛れもなくリーリエ様の＂家族＂で、その権利があるんだ」

　家族、という単語に、リーリエの顔が浮かぶ。

『経緯はどうであれ、私と旦那さまは今夫婦であり、一番近い家族なのです』

　何度もそう言われ、思われた気持ちに、自分は何を返せただろう？　とテオドールは自問する。

「まぁ、そんなわけで＂俺らのため＂って言う大義名分も用意してやるから、うちのお姫さま連れ出して来てくれない？　部屋から出しさえしてくれたら、お前と同じで甘え下手なお姫さまを俺らが責任持ってこれでもかってくらい甘やかすから」

　そう言ってノアが向けた視線を辿れば、勤務時間外だと言うのに、制服のままずらりと並ぶ使用人たちがそこにいた。

「まぁ、テオがリーリエ様甘やかし隊に混ざりたいっていうなら、混ぜてやらん事もない」

「……何だそれ。変なもん結成してんじゃねぇよ」

　ニヤニヤと笑うノアにそういい、頭をガシガシと乱暴に掻いたテオドールは、

「恩にきる」

　そう言って踵を返し、リーリエの研究室に向けて歩き出した。