生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
「……別に嫌ったりはしませんが」

 リーリエは少し硬い声音で淡々と話す。

「でも、今後は注意を引くためだけにあんな事するのはやめてくださいね。私にも、私以外にも」

 リーリエはクスリと笑みを漏らす。
 自分を覗き込むテオドールの青と金のオッドアイが、安堵の色を示す。

「一応、文句を言うならアレ、私のファーストキスだったのですよ? 本来なら慰謝料案件ですからね」

 自分より年上の大人の男の人で、先程確かに怖いと思ったその人が、まるで感情の取り扱い方を知らない小さな子どもみたいに見えて。
 そんな彼が、かわいく思えて、守ってあげたいとすら思う。
 この感情を一体なんと呼ぶのだろう?

「随分と心配してくださったみたいなので、今回だけは、許して差し上げます。あの部屋で煮詰まってしんどかったのは確かですし」

 描いても、描いても、描いても、描き続けても、最適解がどこにもなくて。
 どこに向かっているのか、わからない真っ暗な闇の中に1人で取り残されてしまったみたいで、何を信じればいいのか、指針すら見えず、正直に言えば怖かった。
 それでも魔術師を名乗るなら、描き続けるしかなくて、息の仕方も忘れてしまいそうなくらい、煮詰まっていた。
 カナン王国であったなら、そうなる前に誰かが止めてくれていた。沢山の魔術師たちと共にいくらでも案を話し合えたし、数えきれないほど実験だってできた。
 そうでない環境で、リーリエは初めて行き詰まり、焦って我を見失っていたのだ。

「やり方はともかく、私を助けに来てくれたのでしょう? その気持ちは、分かってますから」

 話しながら、リーリエは段々と冷静さを取り戻す。テオドールだけでなく、屋敷にいる全員に心配をかけてしまった。
 そして、休息と食事で人心地ついた今、みんなが気にかけてくれたという事実を嬉しいと感じているのも確かだった。

「自室には戻りません。大人しく寝ます。なので、せめて私が寝られるようにしてください。流石にこの状態で眠れるほど私も鈍くはできておりませんので」

 白旗を上げたリーリエが、困ったように笑う。
 研究室で苦しそうに表情を歪めていた彼女ではないのだと悟り、テオドールはゆっくり拘束を解いた。
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