生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
 少し距離ができたことで、テオドールの表情が良く見える。

「こういう事は心を通わせたもの同士でする事だと思いますので、何とも思ってない相手にもうやっちゃダメですよ? 心を殺して、身を削って、傷ついた顔をしている"推し"を見るのは私も悲しいので」

 リーリエは手を伸ばしてテオドールの髪に触れ、子どもをあやすみたいに頭を撫でる。

「……リーリエに嫌な思いをさせた事は謝罪する」

 テオドールはリーリエの方を向き、翡翠色の目を見てそう言った。
 普段自分よりずっと大人で寛容なテオドールがまるで叱られた子どもみたいな表情をしてしゅんとなっている様子に、リーリエはなぜかとても慌ててしまう。

「嫌というか、突然すぎて頭真っ白でまともに覚えてないのがむしろ残念……って、すみません、忘れてください」

 とにかくフォローせねばと焦った結果墓穴を掘り、リーリエは自分でも何を言っているんだと顔を赤くし、目を伏せる。

「……つまり嫌ではなかった、と」

「あの、えっと……」

 まともに寝ていない頭はろくに働かず、ぐるぐると思考が空回る。

「なぁ、俺は少しは自惚れてもいいのか?」

「へっ? あの、えぇーっ」

 テオドールの顔しか見えない距離で、そう聞かれてリーリエは言葉を無くす。
 テオドールはリーリエの手を取り、そのまま自身の胸の上に掌を当てる。

「何とも思ってない相手が隣にいて、こうはならない」

 リーリエはテオドールの鼓動の速さに驚く。
 自身の心音がこだましすぎて気づかなかったが、テオドールの心音も変わらないくらい早くて。

「割と毎回ギリギリのとこで耐えてるって事も付け加えておいていいか?」

「それは、毎回ブチギレ寸前……と言うことでしょうか?」

 あの殺気はトラウマレベルだわとさぁっと顔色が青くなるリーリエ。

「違う。本当にミリも伝わんねぇな。こんな弱ってるときに言うつもりはなかったが、つまり」

 もう色々面倒になったテオドールが半ばヤケになり全部話そうと開いた口に、リーリエが指を当てる。

「聞きたくない、です」

 ああ、明確に拒絶されたか。
 それが彼女の答えなら、それはそれで仕方がないと言葉を閉ざしたテオドールにリーリエは続ける。

「何か、大事な事を言おうとしてくださっているのでしょう? なら、こんな状態で聞きたくありません。私、旦那さまに関してだけは自分でも驚くくらいちょろいので」

 そう言って視線を外しているリーリエの横顔は、今まで見た事がないくらい余裕がなくて。

「今、何を言われてもテオドール様の話しをまともに聞ける自信がないので、時間をください。せめて、今回受けた魔術式の依頼が終わるまで」

 テオドールはリーリエから旦那さまではなく名前で呼ばれたことに驚き、彼女が真面目に取り合おうとしてくれていることが分かる。

「……分かった」

 テオドールは表情を緩めて、笑う。
 リーリエはその笑顔に見惚れるだけで、いつもみたいに騒ぐことはできなかった。
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