生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
「せめて、公爵令嬢らしく振舞わなきゃと随分背伸びをしていました」

 それは、まだリーリエが前世を思い出す前の話。

「そんなある日、たまたま実家に顔を出していた師匠に出会いました。初めて見る魔術を組み上げるその様が、あまりに綺麗で、師匠の描くその魔術式に魅了されていく人たちの姿にわくわくしました。指先一つで誰かを幸せにできるなら、私もそうなってみたいって憧れるくらい。人の顔色ばかりうかがっていた私が、初めて欲しいと手を伸ばしたものそれが”魔術師”でした」

 初めて見つけた夢に何も持たない少女は夢中になった。

「魔術師を目指すには、私には足らないものが多すぎた。そもそも父は良い顔をしなかった。だから、私にたくさんの課題を与えました。10歳で公爵家預かりになってる経営破綻した子爵家の領地の運営をまるっと渡されたときは、若干殺意すら沸きましたね。そこまで私の邪魔がしたいか、と」

 でも、そうではなかった。例え魔術師として立てなかったとしても、リーリエが困ることなく生きていけるようにと、父も母も自分の持てる全ての技術と知識を何も持たない娘に叩き込んだのだ。
 甘やかし囲うのではなく、自分の足で立てるようにと接するそれは確かに愛だったのだろう。

「師匠が使えるものは何でも使えと言うので、人を使う事を覚えたら周りからは"怠惰"だ"昼行燈"だなどと言われるし、幼少期は忙し過ぎて貴族の子が通う学校にほぼ行けず、社交も最低限だったので"深窓の令嬢"なんて噂も流れてましたね」

 聞き覚えのあるフレーズの真相にテオドールはリーリエらしいなと思う。

「前の人生では、私は何も成せなかったから」

 リーリエはぽつりと聞き取れないくらい小声でつぶやく。

「前?」

 テオドールがかろうじて聞き取れた単語を聞き返すが、リーリエはクスリと笑い声を漏らすだけ。

「今度は、生きた証を残してみたかったのです。平穏でありふれた日常を享受しながら」

 前世の記憶が混ざっていても、ここにいる自分は前世の延長で生きているわけではない。
 見るもの、感じるもの、触れたもの、それらすべては、やはり今世の自分の物なのだとリーリエは思う。

「初めから持っていたものなど、何もない。魔術師としての師匠からの教え、人の中でうまく立ち回れるように父から学んだ手腕、母から仕込まれた淑女としてのマナー、自由に立ち回れるようにと祖父から教え込まれた武術。それら全部が、今の私を作っている。それが、あなたの妻”リーリエ”という人物です」

 参考になりましたか? とリーリエはそう締めくくった。
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