生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
「俺のことが顔も見たくない程嫌いだと言うのなら諦める。でもそうじゃないのなら、俺にリーリエを口説く時間をくれないか?」

 リーリエは下を向いてテオドールの申し出に首を振る。 
 
「テオドール様を見ていると胸が痛くて、苦しいの。名前を呼ばれるだけで、心音がうるさいの。手を離さなきゃって分かってるのに、あなたに触りたいって思ってしまうの」

 リーリエはぽつり、ぽつりと言葉を落とす。

「この気持ちが、恋だったらいいのにな」

 顔を上げたリーリエはテオドールを見てそう言った。

「ずっと、そばにいるか今すぐにはやっぱり決められません。今はまだ大事なら離れなきゃって気持ちの方が強いです。それでも、もう少しの間だけ、一緒に居られるかもしれない夢を見ててもいいですか?」

 結論の保留。
 時間の先延ばし。
 それには何の意味もないのかもしれないけれど。

「呼び方、慣れるの大変そうですね。あと、愛称は二人きりの時だけにしてください」

 今までの関係の終わりと新しい関係の始まり。
 とりあえず選んだ今は、そこから始める事にする。

「リリ」

 テオドールはリーリエが選んでくれた現在を確かめるようにそう呼ぶ。

「それは嫌です」

 いきなりリーリエに断られ、怪訝そうにテオドールの眉間に皺が寄る。

「"リリ"は近しい他人がそう呼ぶ愛称なので、リリでは嫌です」

 ふふっと揶揄うように笑ったリーリエは、

「家族は私の事をリィって呼ぶの」

 テオドールを見つめてそう言った。

「リィ」

 とつぶやくようにテオドールはリーリエを愛称で呼び、とても大切そうに髪を撫でた。
 その声で自分の愛称を呼ばれたことで、逃げ出したくなるくらい急に恥ずかしさを覚えたリーリエは、目を伏せる。

「リィは俺のことを呼んでくれないのか?」

 強請られるようにそう言われ、

「強要はよくないと思いますよ、テオ様」

 耳を赤く染めてそう言った。

「リィ、愛してる」

 テオドールはリーリエの赤く染まった耳を撫でる。そのこそばゆい感覚にぴくっと肩を震わせたリーリエは、意外そうな顔をする。

「あなたがそう言う単語を口にするの、初めて聞きました」

「初めて言ったからな」

 テオドールは楽しそうにリーリエの反応を見て笑う。

「揶揄い過ぎです」

 もう、と翡翠色の瞳に抗議の色が滲む。

「嫌がる事は、しないから。嫌ならいつもみたいに全力で逃げて欲しい」

 テオドールはそう前置きをして、リーリエの手にキスをする。驚くリーリエの額に、耳に、瞼に、鼻に、頬に、首に、その唇で軽く触れていく。

「嫌か?」

「……ずるい、聞き方」

 リーリエの反応を確認してから、テオドールはそっとリーリエの唇に触れた。
 軽く触れるだけの短いキス。

「リィ、足りないって顔してるな」

 揶揄うようにテオドールに言われ、リーリエは恥ずかしそうにテオドールの視線から逃げる。

「……はしたない?」

「いや。俺も全然、足りなかった」

 こつんとリーリエの額に自分の額を当てたテオドールはささやくように聞く。

「もう少し、長くて深い奴していいか?」

 そしてリーリエが答えるより早く、長くて深いキスをした。
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