生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する

83.生贄姫は全力で迎え撃つ。

 雨でびしょ濡れになったせいで長い蜂蜜色の髪が顔に、濡れて重くなったドレスが身体にまとわりつく。
 追い詰められたリーリエは傷ついた肩を手で押さえ、木にもたれかかり上がる息を整える。

「そろそろ、チェックメイトかな?」

 心底楽しそうに笑うレオンハルトもといヘレナートがそう言って、大鎌でリーリエのドレスを引き裂く。

「ああ、やっぱり。変な気配がすると思った」

 露わになったリーリエの左鎖骨下の白い肌に描かれた魔法陣を見て、ヘレナートは眉を顰める。

「大事なルカの入れ物に余計な事をしないでくれる?」

「……ヘレナート様の魔法陣を封じるにはこうするほかありませんでしたので」

 それは、ヘレナートの魔法陣を誰にも奪わせないために、リーリエの魔術師としての全てを賭けた呪術。

「ルカが望むなら、前のは処分してあげたのに」

 そう言ってヘレナートは空中に魔法陣を展開する。

「新しく描き直しちゃったし、前のはいらないんだよね」

「まだ、賢者の石を諦めていなかったのですか?」

「んーん? あれはもういいんだぁ。ルカが要らないって言ってたし」

 小首を傾げてふむと唸ったヘレナートは、大鎌を肩にかけて、

「よし、壊そう。ルカの入れ物にその模様は相応しくない」

 そう言ってリーリエにゆっくりと近づく。
リーリエは目を閉じ、師の教えを思い出す。

 劣等種だと言われるなら、それを利用しろ。

 魔力が足らないなら精度を上げろ。

 自分が格上だと思っている相手には、必ず隙ができる。

『まだ。まだ、終われない』

 リーリエは翡翠色の目に笑みを浮かべる。
この状況で綺麗な笑顔を浮かべた彼女を見て、やや警戒したようにヘレナートは足を止める。

「どうやら、私はここまでのようですね。冥土の土産に教えて頂けません? 大賢者様は夢魔でどんな実験をして、誰の願いを描いたのか」

 ヘレナートの魔法陣を見たフィーは言った。子どものラクガキのような、願いだと。
ならば、これはやはり誰かの願いなのだろうと空中に浮かぶ魔法陣を見ながらリーリエは思う。

「そうだね、これは願い。”誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰でもいいから助けて”って、神様に祈らなかったこの子の最愛の彼女の。強く呼ばれたからね、渡って来れたんだぁ」

 願い、という言葉に反応して、ヘレナートは自身の胸に手を当てる。

「今も彼女は"魅了"しているんじゃないかな? 自分の願いを叶えるために」

 リーリエは賢者の石の構想を思い出す。
大賢者レベルの者がそのスキルを活用し、幻覚、幻視、幻聴、悪夢を抽出して高濃度でまとめ上げられたとしたら、きっとそれは強く精神を支配して惑わせる事ができるのだろう。

 人でも、それ以外でも。
< 173 / 276 >

この作品をシェア

pagetop