生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
 リーリエお嬢様ねと、リーリエは深い深いため息をつく。
 父がラナを派遣した理由が分かった。
 さっさと終わらせて公爵令嬢として帰ってこい、と伝えるためかと。

「先に言っておくけど、私は帰らないし、帰れない」

「何故です?」

 訝しげに形のいい眉を顰め、ラナが尋ねる。

「ヘレナート様の魔法陣を焼いたのは私じゃない。もっと厄介な状況になってるの」

 リーリエはラナに簡単にレオンハルトとのやりとりや魔術省との出来事について説明した。

「ヘレナート様本人なのか、それともレオンハルト様がそう思い込んでいるのかは分からなかった。でもカナン王国の魔法陣が焼けたなら本人の可能性が高そうね。貴重な情報ありがとう」

 リーリエは情報を考察し、仮説を組み立てる。
 例えば、彼、つまりヘレナートが主人公であったなら、と。
 ストーリー自体は良くあるゲームの内容で。
 飛び散ってしまった魔石のカケラを回収するために、主人公はあらゆる世界に転移する。
 その主人公について、前世で周回したゲームでは姿はもちろん、性別、個人を特定できるバックグラウンドすら描かれていない。
 主人公=プレイヤーなのだから当たり前だと思っていた。だけど、主人公には主人公としてのキャラクターの役割と人生があったのだとしたら?

「とりあえず、物語の主人公とヒロインについて知らないとね」

 幸い、ヒロインについても当てがある。
 前世のゲームのストーリーの外、空白の部分を埋めながらこの物語の終焉を探していく必要があるのだろう。

「主人公とヒロイン、ですか?」

「物語を構成するにはメインキャストだけじゃ足りないってこと。まぁ、要するに私みたいな推し活してストーリーを追っかけてくれるファンも必要なのでしょう」

 ふふっと楽しげにそう言って、リーリエは淑女らしくカフェオレを優雅に飲む。

「相変わらず、リィ様の言っていることが分かりません」

 主人の難解な言動は今に始まったことではないので特に驚くことはないが、リーリエが今時点で公爵家に戻るつもりがないという事だけは分かりラナはため息をついた。

「ルカって人について、知りたいわ。アシュレイ公爵家並びに王家に関りのある人を除籍された人、傍系まで含めて全部調べて。愛称、類似音、綴り、別称も込みでね。検索範囲はヘレナート様の時代から今日まで全部」

「……リィ様の人使いの荒さはご健在のようで」

「あ、あと古代文字の辞典も全冊頂戴。言い回しの変換と暗号表もよろしくね」

 頼りにしてるのと言われてしまえば二の句は告げず、ラナは了承を告げて仕事を請け負う。

「……これが終わったら、お戻りいただけるのですよね」

 どこから調べようかなぁとめぼしい資料を手に取り始めたリーリエの背に話しかける。
 聞こえないふりをして鼻歌交じりに資料をめくるリーリエにラナは不満げにため息を漏らす。
 半年近く経とうというのに、リーリエは公爵家にいたころと何も変わっていない。それにほっとしたような、置いていかれて寂しかったのは自分だけかと焦がれるようなそんな思いでラナは大切な主人の背を見つめる。

「あ、そうだ。私別にギフティ観察のために旦那さまのお側にいるわけじゃないから、失礼がないようにね」

 思い出したようにそう付け足したリーリエに、ラナは解せないと眉根を寄せる。

「では何のために? まさか恋仲というわけでもないでしょうに」

 バサバサバサ。
 っと、盛大な音と共にリーリエの手から大量の資料が落下した。

「はっ? 冗談、ですよね?」

 第一王子の許嫁で王妃教育を受けていたとは言え、色恋沙汰に一切興味を向けなかったリーリエが、まさかとラナは目を丸くする。

「……ラナが変なこと、言うからでしょ」

 恋仲、というワードに反応してしまったリーリエは自分でも驚くほど動揺していた。

「いやいやいやいや、恋愛方面初等部以下のリィ様が半年やそこらで」

「失礼なこと言わないでくれる? 私は旦那さまの妻ですよ? 夜も一緒に明かしてますよ」

 何もしてませんけどね、とは言わず事実だけを述べる。

「だから、夫婦のことは放って置いて欲しいわ」

 カナン王国に戻らない詮索をこれ以上受けたくないリーリエは、もうこれで押し切るかと嘘と事実を織り交ぜて言い切る。

「そうですか、分かりました」

 全く信じて無さげな声で了承を告げたラナは、

「では、私今日からリィ様のお部屋に滞在しますね。夜はご不在でしょうから」

 にこやかにそう言った。
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