生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
 いつも逃げるリーリエが、ぎゅっと身体を寄せて来たことに驚き、テオドールが目を瞬いていると、

「……良かった。また、傷つけてたかと、思った」

 リーリエが泣きそうな小さな声でそう言った。

「リィがカナンに戻る気かと思って、少し焦っていた」

 テオドールはリーリエの背中をトントンと叩きながら、そう言って宥める。

「俺はリィにこの屋敷を出ていって欲しくないし、カナンに帰したくない」

 背を叩いていた手はゆっくりと撫でる手つきに変わり、頭を撫でる。

「リィが他の男に口説かれてるの見るだけで妬いたりもしてるし」

 騎士団で団員にどんな目線を送られているか、リーリエは気づいているだろうか? とテオドールは苦笑する。あの中にはかなり本気のものも混ざっている。

「本命《リィ》に好きだと言われたことも無ければ、本命《リィ》からキスされた事も無い」

 頭を撫でていたテオドールの指がリーリエの長い蜂蜜色の髪を弄びはじめる。

「書籍以外の私物が増えない部屋を見てると、いつでも出ていける準備をされているようで、いつまで"保留"でいてくれる気なのか不安になる」

 この髪を撫でる指を当たり前のように受け入れるようになったのはいつからだろう? とリーリエは思う。
 気恥ずかしかったその動作が心地よくて、好きだと思うようになって、いまでは手放しがたくて。

「な? 結構余裕も自信もないだろ? リィが思ってくれているほど手練れでもなければカッコ良くもないんだよ、俺は」

 淡々としたテオドールの低い声がリーリエの耳朶に響く。

「幻滅したか?」

 困ったように笑うその顔が可愛いく見えて、リーリエはどうしようもなく抱きしめたくなる。

「……幻滅、なんて、するわけないって知っているでしょ?」

 はぁ、とリーリエは大きくため息をつく。
 いつもの大人びているテオドールも好きだが、少し幼く見える弱いところを見せてくれるテオドールに、どうやら自分は弱いらしいとリーリエは自覚する。

「ずるいなぁ。分かっていてそういう顔するの」

 どこまで計算でやっているのか、読めないところが恐ろしいわと思いつつ、どう足掻いても勝てそうにない戦況にリーリエは白旗を上げた。

「……お慕い、しています。あなたが思っているより、ずっと」

 リーリエはテオドールの青と金の目を覗き込む。その目に自分が写っていることは、当たり前のことではなく、奇跡に近い幸せなのだと思う。

「あなたが好きです。カッコよくても、そうでなくても。先の約束ができなくても、少なくとも今一緒にいたいと思う程には」

 言葉にしなくては伝わらない事もある。でも、言葉以上に伝えたいことがあるときに人は触れ合うのか、とリーリエは唐突に理解する。
 リーリエはテオドールの頬に手を触れ、とてもゆっくりした動作で優しくテオドールの唇に自身の唇を重ねた。
 それはほんの一瞬で、恥ずかしさのあまりリーリエは顔を伏せる。

「ごめん、なさい。これが限界です。恋愛偏差値初等部以下だから、これで許してください」

 リーリエ的にはかなり頑張ったのに、テオドールが何も言ってくれず不安になる。

「テオ様?」

「……っとに、人の気も知らねぇで、煽りやがって」

 テオドールは深い深いため息をつく。

「へ? あの、えっ!?」

「自重だ節度だ言うから、こっちは我慢してるのに……俺の妻は本当に人の話を聞かない」

 身体を反転させテオドールはリーリエを押し倒す形でベッドに縫い止め、噛み付くようなキスをして、

「リィが悪い。寝る」

 とリーリエをベッドに残して寝室から出て行った。
 残されたリーリエは出ていくテオドールの耳が赤くなっていたのを思い出し、その熱が移ったかのように赤くなりながら、やっぱり正解が分からないっと小さくつぶやいたのだった。
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