生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する

91.生贄姫は強制送還を免れる。

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 ヴァイオレットはいつもより数段地味な格好で路地裏の廃教会に立っていた。
 髪は本来の菫色をしており、遠目ではカナン王国第一王子の寵姫など分かるまい。

「そう、トーマスは捕まったの」

 報告を聞いたヴァイオレットは抑揚の無い声でそう言った。

「余計な事吐く前に、処分しておいて」

 何度この言葉を口にしただろう? とヴァイオレットは首を傾げる。
 トーマス、と聞いてこの国に彼が自分を連れて来た日の事をヴァイオレットは思い出し、肝心の彼の顔は思い出せないことに気づいた。

「駒なんて、代わりはいくらでもいるのだから」

 そう、自分も含めて駒の代わりなんていくらでもいる。もう、そんな事ではヴァイオレットの胸は痛まなくなってしまった。

「首尾? もちろん、上手くいっているわ。フィリクス様は私のお願いならなんでも聞いてくれるの。可愛いでしょ?」

 これは本当。

「私は彼の寵愛を一身に受けているのよ?」

 これは嘘。

「禁術書庫にだって、もうすぐ手が届く。大賢者の魔法陣だって手に入れてみせるわ」

 そんなもの、欲しくない。そんなことをしたら、あなた達はまたレオを苦しめるのでしょう?
 本当はそう、言ってしまいたかった。

「全てはあなたにかかっているのです、王女様」

 王族が名を連ねる名簿に、『私』の名などないというのに笑わせると、ヴァイオレットは自嘲気味にそう思う。
 禁術書庫には大賢者の魔法陣などすでに無いのだと伝えたら、この者たちは一体どんな顔をするのだろうと考えて、少し笑えた。

「任せて頂戴。全ては、レオンハルト様のために」

 ヴァイオレットが不敵に笑うと、背中に刻まれた魔法陣が服の下で煌々と反応し、使者たちは彼女に魅了されていく。
 そう、全ては自分の最愛の家族のため。ヴァイオレットはアルカナからの密偵を見下しながら、内心でつぶやく。

 あの血に染まった緋色の椅子に、助けてと泣きながら叫んだ私の半身《レオ》を無理矢理着かせたいのでしょう?
 そんなこと、絶対にさせるものか、と。

『向いてないんだよね、王様。円満に投げ出す方法、コレしか思いつかなくて』

 そう言って、寂しそうに笑ったフィリクスの顔を思い出し、ヴァイオレットは無性に彼に会いたくなった。

「さぁ、ゲームを続けましょうか。あの緋色の椅子をかけて」

 壊れかけた神様の像の前でヴァイオレットは宣言する。

 私は、神様なんかに祈らないと心の中でつぶやきながら。

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