生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
 寄りかかって来たリーリエから熱が伝わる。2人は言葉を交わす事も目を合わせる事もなく、ただただそこにいるだけで沈黙が暗い部屋に横たわる。

「……同情か?」

 つぶやくようにテオドールがそう吐き出す。

「ただこんな夜があるというだけで、別にどうという事はない」

 ここではない、どこか遠くを見つめるその瞳にリーリエが映ることはない。

「今更、あんな話を聞いたところで正直何か思うでもない」

 ただ淡々と、低く冷たい強張った声音でテオドールは言葉を紡ぐ。

「母親など顔も知らず。父親には名を呼ばれた事すらない」

 だから、テオドールにはリーリエの語る家族というものが正直よくわからなかった。

「母親も俺を産みさえしなければ、蔑まれる事もなく、俺が生まれて来なければ死なずに済んだ命がいくつもあったのだろう。ただその事実があるだけだ」

 自嘲気味にテオドールから吐き出される言葉は、彼が抱えてきたモノの重さを物語っていた。
 そんなことない、などと否定するだけの言葉はあまりに嘘くさくてリーリエには口にする事ができなかった。

"私さえ、生まれて来なければ"

 リーリエ自身ステータス画面を見るたびに、そう思ったことが幾度もある。
 その傷の深さはきっと本人にしか分からない。心の傷は、大聖女でさえ治せない。
 テオドールがそう思うなら、それは確かにテオドールにとっての真実なのだろう。

「出て行ってくれないか。放っておけばそのうち治まる」

 朝が来たからといってその傷の痛みが、寂寥感が、治まるわけではないだろう。ただただ心に蓋をして、平静を装いながら見ないフリを続けるのだ。
 何度も。何度でも。

「……ここに居ます」

 1人で越えられない夜がある。それを知っているリーリエは、ただ静かにそう言って寄り添うことを選択した。
 瞬間、リーリエの世界が反転し、翡翠色の瞳は大きく見開く。

「優しくできる余裕ねぇから、出てけっつてんのが分かんねぇのか」

 リーリエの耳に届いたのはとても冷たい声だった。
 すぐ脇にあったベッドに押し倒され、テオドールに見下ろされているのだとリーリエはすぐに理解した。

「それとも、慰めてくれんのか?」

 仄暗い光を宿す青と金の瞳には相変わらずリーリエは映っておらず、破壊衝動を孕んだ手負いの獣のようで。

「めちゃくちゃに、傷つける前にどっか行ってくれ、頼むから」

 最後通告のようにそういうテオドールにリーリエは泣きたくなった。
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