生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
「泣かないんだよ、あいつ。あんな泣き虫なのに」

 リーリエは魔術式も魔法も使えないと悟ってから、ただただ静かにそれを受け入れた。
 そうなる事も覚悟していたかの様に、自分の選択を悔いる事も嘆く事もなく、リーリエは自分のために涙を流す事すら許さなかった。

「情けない事に、俺はリーリエを泣かせてやる事すらできん」

 リーリエにとって魔術師として立つ事がどれほど難しい事だったかをテオドールは知っている。
 自分で選んで磨き上げた誇りを失って、苦しくないわけがないのに、リーリエはその気持ちを表に出す事も、誰かと共有する事も望まない。
 全部自分で受け入れて、前を向こうとするその様は、強く、厳しく、そしてあまりに物悲しかった。

「助けて欲しい」

 テオドールは再び深く頭を下げた。
 テオドールが誰かに助けを乞うのは初めてだった。今までそうできる相手もいなかったし、そうする必要もなかった。
 だが、今回だけはどうしてもなんとかしたかった。

「大聖女、なら完全回復できるだろ。リーリエの神経と魔脈回路元に戻せるようにして欲しい」

 リーリエの開発したヒールポーションはあくまで自然回復の効果増大で、この宮廷にいる魔術医でも侵された神経や魔脈回路を完全回復することはできない。だが、大聖女であれば、リーリエのこの状態を回復できる。

「リーリエの妹が大聖女なんだろう? カナンに大聖女の貸し出しを依頼して欲しい。対価はなんでも払うから」

 リーリエに笑っていて欲しかった。
 目を閉じて浮かぶのは、いつも楽しげに彩られる翡翠色の瞳で、それを守れるなら何を差し出しても惜しくない。

「リーリエに魔術師であることを諦めさせないでくれ」

 深く頭を下げたテオドールを見て、やめろよとつぶやく様にルイスは告げる。

「……できるなら、やってる」

 苦しげに吐き出されたその言葉にテオドールは顔を上げる。

「リリの状態知って、俺が動かなかったとでも思うか? 1番に打診したよ。結果、アシュレイ公爵に突っ撥ねられた」

 ルイスは自身の金糸の髪をぐしゃぐしゃに掻きむしって吐き捨てるように話す。

「希少な大聖女を、もう自国民ですらないたかが故障した魔術師如きのために国外に派遣するなどあり得ない、と」

 出せる限りの対価の提案もした。
 だが、最終的に憐れなものでも見るような目つきでアシュレイ公爵に言われたのは、切り捨てることを覚えろという一言だけだった。

「……どうにも、できないんだよ」

 為政者としてなら、アシュレイ公爵の判断が正しいことは分かる。
 それでも普段の2人の仲を知っていたルイスは、あれほどまでに取りつく島もなくアシュレイ公爵がリーリエを切り捨てるとは思わなかった。
 リーリエはこうなることを分かっていたのだろう。父としてではなく、一国の宰相として彼が正しく決断すると。
 だから、彼女は黙って受け入れて、大聖女に願うことをしなかったのだと、ルイスはこの結果を受け入れるしかなかった。
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