生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
 予定通りルイスと家臣が屋敷にやって来た。対応を準備をしていた分滞りなく話は進んでいく。

『集中、しなきゃ』

 テオドールの後ろで控え、笑顔で微笑むリーリエは、目の前で広げられるやり取りを見ながら、ぼんやりしそうになる意識に喝を入れる。
 だが、いくら頑張ってもいつものように淑女の自分になる事ができない。

『情報を読んで、次の一手を考えて』

 ここ1番大事な一戦で、集中力を欠くなどあり得ない。
 分かっているのに、どうしても会話がただの音として抜けてしまい情報として拾う事ができない。

『せめて、笑わないと』

 それどころか、自分が今どんな表情をしているのかさえ分からない。

『なんて、情けないの』

 耳にこだまする心音がうるさくて、息の仕方さえ分からなくなる。

「……そういう訳だから、よろしくね。テオドール」

 ルイスの言葉で謁見が終わりを告げる。
リーリエは気が抜けそうになるのを奥歯を噛んで耐えていた。
 挨拶の礼も見送り方も身体が覚えている動作だから何も考えずに体裁を整えられている。
 それだけだ。

『それではダメなのに』

 きっとルイスには見透かされている。
 こんな失態、きっと呆れられる。

『私は、でも……』

「では、お前達は先に帰っていてくれ。私はもう少し弟夫婦と話していくとしよう」

 尊大な態度でルイスがそう話す。

「ルイス殿下、テオドール殿下、宜しければ私も同席を願えませんか? リーリエ妃殿下の使われていた水魔法による回復術や術式の起動媒体について、ぜひ私もご意見を拝聴したく」

 退席を促された宮廷魔術師長が人好きのする笑顔を浮かべてそう発言した。

「聞こえなかったか?」

 ぞっとするほど冷たいルイスの声と威圧感に場の空気が一気に凍る。

「私は退席を命じたのだ。ここからはプライベートでね。出て行け、と言っているのが分からないか?」

 ルイスの尊大な物言いは自分より遥かに年上の臣下を萎縮させ、了承以外を許さない。
 若輩だと侮ることなどできない圧倒的な権力者。

「もう、用は済んだのだ。行け」

 ルイスと共に屋敷に来た家臣たちは一礼し、すぐさま屋敷を後にした。

『今から、2戦目。ダメだ、惨敗する』

 戦わずに負けるなんて、そんなことあってはならないのに、リーリエの頭は回らない。

『どう、しよう?』

 "破滅"を回避するためには、ルイスの興味の対象であり続けることが必要なのに。

『どう……すれ、ば』

 リーリエが考えることすら手放しそうになった時、前にいるテオドールを押しのけてルイスが顔を覗かせた。
 眩い金色の髪と心配した様子で陰るアメジストのような瞳とリーリエの虚な目が合う。

「リリ。もう、大丈夫だから」

 久しぶりに会ったルイスは王太子殿下としてではなく、親しい友人としてリーリエを呼んだ。

「こんな時にリリが上の空なんて、よほど調子が悪いんじゃ」

 心配そうに伸びてきた指先がリーリエの髪に触れる。一拍遅れてそれを思い出したリーリエは勢いよくルイスの手を払った。
 だが、リーリエが首筋に手を当てた時点で既に全部見透かしたルイスの目と視線が合ってしまった。

『ああ、もう、無理ゲー』

「リリっ!!」

 ルイスが自分の名前を叫んだ気がするが、意識を手放したリーリエには自分を抱きとめたのが誰なのかわからなかった。
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