生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
「万が一主人公が来た時には旦那さまが拐かされないように、こっそりアレキサンドロスをお渡して穏便にお引き取り願うのが一番平和的解決かもしれませんね、というお話ですわ」

 ゲームをやっている時は何とも思っていなかったが、国の重要人物である王子だの騎士だの聖女だのを引き抜かれて異世界に行かれたらぶっちゃけ国が回らなくなる。
 異世界救ってないで、両方の国の正常化を目指して働いてくれよというのが現実を生きるリーリエの本音である。
 と、まぁこんな話をするわけにもいかないので、結論だけを話して淑女の仮面をつけてニコニコと笑い続けるが、脚技を繰り出すその行動はまるで淑女らしくはない。

「私、旦那さまにお伝えしていませんでしたが、私の"推し活"を害されるのは許せませんの。たとえ、旦那さまであってもです」

 リーリエが脚に力を込めると柱の破片が更にパラパラと落ちた。

「せっかく、旦那さまから初めてカフェオレを頂いたというのに、ジャンル違い如きで神イベントの鑑賞を害さないよう重ねてお願い申し上げます」

 見上げてくる翡翠色の瞳はかつてないほどの殺気を孕んでおり、お願いとは名ばかりの強制力を持ったそれは、一種の狂気に満ちていた。

「あと、もうひとつ。私、脚技には少々自信がある事も付け加えておきますわ」

 キスをしようとした事よりも、カフェオレを落とさせた事の方に怒られているこの状況。
 テオドールは非常に解せないが、リーリエの地雷を踏んだ事だけは理解したテオドールが口にできるのは、謝罪と了承だけだ。

「悪かった」

 ため息混じりに降参すれば、やや怒りの気配を引かせたリーリエが脚を退かす。

「ご理解頂けて、何よりです。多少のはしたなさはご容赦くださいませ。何せ、最愛の方から初めて頂いたものを台無しにされましたので」

 その最愛の方をたった今害そうとした本人は、テオドールを見て微笑むと、

「私、旦那さまと違って寛容な方ではありませんの。2度目はない、とお心に留めて置いてくださいませ。さて、今宵はコレでお開きといたしましょう。良き夢を」

 淑女らしく背筋を伸ばし、綺麗な動作でカテーシーをし、くるりと背を向け歩き出した。
 残されたテオドールは空を仰いで、

「リーリエの言葉は難解過ぎる」

 とぽつりとつぶやく。
 テオドールの独り言とそろそろ本気で翻訳機が欲しいなという願いは暗闇の中に消えていった。
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