戒められし者
十二.ウォーター学舎へ
 次の日の朝、スフィルが起きた時、すでに、シャラは起きていた。
 「おはよう、シャラ。」
 返事をしない、シャラの気持ちを察し、スフィルは優しく言った。
 「大丈夫…シャラなら、必ず受かるよ。」
 全く返事をしないシャラを見て、スフィルは、はっと察した。
 「シャラ、こっちを向きな。大丈夫か?…シャラ、怖いんだろう?その目のせいで、差別されるかもって。違うか?」
 シャラの目が、はっとしたように大きくなった。その目から、みるみるうちに、涙が浮かび、溢れ落ちた。
 スフィルは、痛ましげに、シャラを見つめながら頷いた。
 「やっぱりな…俺は昔から、『魔術ノ民』が差別されていたのを、何度も見ているんだ。シャラや、母上様が、差別されなかったなんて、そんな都合のいい話はないよな。」
 声を出さずに、涙を流し続けているシャラを、そっと抱きしめて、スフィルは続けた。
 「確かに、ウォーター学舎へ行くことは、差別されることに等しいかもしれない。お前がそこまで泣くってことは、これまでにも差別を受けてきたってことだろ?それは辛いな。だけど、前も言った。ここにいれば、差別よりも恐ろしいことになる。お前と俺は連れ戻され、王と王妃として生きてかなくちゃいけない。」
 シャラの体がこわばったのがわかった。恐らく、リーガンのことを、思い出したのだろう。
 スフィルは、シャラをしっかりと抱きしめながら、こう思っていた。
 (リーガンと会うなら…そんなことを、こいつにさせるくらいなら…ウォーター学舎に、入れてしまった方がいい。これでいいんだ。)
 このままだと、シャラは王妃となり、母のリヨンと自分を見捨てた国と民を、治めなくてはいけなくなってしまうのだ。
 そんな、酷い役を、シャラにやらせるわけにはいかなかった。
 (やるなら俺がやるさ…)
 首を軽く振ると、スフィルはシャラに微笑みかけた。
 「よし、行こうか。」
 シャラも、微笑み返して頷いた。
 
 「わあ…!すごい!これで行くの?」
 目の前には、豪華に飾られた馬車があった。
 「凄いだろう?シャラのために、用意したんだ。さ、乗って。出発の時間だ。」
 乗り込むと、すぐに馬車は動き出した。
 「ウォーター学舎は、民ノ街を通りすぎて、山道を、深く深く登っていったところにあるんだ。遠いけど、その分、刺客とかもないから安全だよ。」
 と、馬車が止まった。
 「あ、そうだった。すまない、ここで待っててくれ。すぐ戻ってくる。シャラ、おいで。見せたいものがあるんだ。」
 シャラは、警戒しながら、スフィルのあとをついて行った。
 木々をかき分け、どんどん奥へ進んでいく。
 (こんな奥に何が…?)
 と、急に視界が開けたところに出た。
 「シャラ、見てごらん。きっと気にいるよ。」
 言われるがままに見た途端、シャラは声を上げた。
 青く高くそびえ立つ山々、草花が咲き乱れる野、大きな滝と泉、その横には、水車がついた小さなコテージ…
 なんて美しい場所だろうか。
 「ここさ、俺の隠れ家なんだ。昔、ルータイに来たばかりの時、色々なところを、探索したんだよ。その時、ここを見つけた。びっくりしたよ。こんな綺麗なところがあるなんて。ここ、一目で気にいったんだ。だから、あのコテージを建てて…俺の隠れ家を作ったんだ。」
 シャラの方を向いて、スフィルは続けた。
 「今日から、俺とシャラの隠れ家、だな。鍵は、あの階段の下にある、物入れに入ってる。いつでも来いよ。ここは、ウォーター学舎からも、歩いてこれるから。」
 そういうスフィルの声は、かすかではあるが、震えていた。
 「さあ、行こうか。御者を、これ以上は、待たせれない。ウォーター学舎へは、あと少しだから。」
 来た道を戻り、馬車へと、乗り込んだ。
 少し進むと、目の前に、壮大な門が見えてきた。
 「ウォーター…学舎…」
 そう書かれた表札も見えた。
 ぽん、と馬車から飛び降りると、スフィルは、シャラの手を取って、馬車から降ろしてくれた。
 門に取り付けられた鐘を、静かに鳴らすと、カランカラン…と、綺麗な高い音が響いた。
 「こんな小さい音で、ちゃんと聞こえるの?」
 そうささやくと、スフィルは微笑んで頷いた。
 「まあ、見ててごらん。」
 口を開こうとして、シャラは、慌てて口をつぐんだ。
 ガチャ…ギィー…という音を立てて、門が開いたからだ。
 「はい?…あら、めずらしい。スフィル、久しぶりね。」
 皮肉っぽい言葉に、スフィルも笑みを浮かべて、言い返した。
 「こちらこそ。サリムも元気そうで、何よりだ。」
 シャラはびっくりして、スフィルが「サリム」と呼んだ人を、凝視した。
 (この人が…)
 ウォーター学舎の、学長を務めているという、サリム・レッカーという人なのだろう。見た感じは、スフィルと同年代に見える。
 ふと、サリムは、シャラの方に目を向けた。
 その視線に、スフィルが気づき、シャラを、ちらっと一瞥してから、口を開いた。
 「こいつは、この前、手紙で言ってたシャラ。俺と血の繋がった妹だ。」
 「妹………ああ、なるほどね。確かに、顔は…スフィルにそっくりだわ。よろしくね、シャラ。私は、サリム・レッカー。ここ、ウォーター学舎で、学長と教師をしているわ。だけど、スフィルと同じ二十歳よ。よろしくね。」
 シャラは、すっとひざまずくと、頭を下げてこう言った。
 「私は、シャラ・カウンと申します。こんな目の色ではありますが、『呪いノ民』ではありません。兄がいつも、お世話になっております。どうぞ、よろしくお願いいたします。」
 サリムの目が、わずかに大きくなった。
 「スフィル、あなたの妹は、とっても礼儀正しいわね。どこかの、元気すぎてうるさすぎる、スフィルという人とは、大違いだわ。」
 きついことを言いつつも、サリムは微笑んでいた。
 「じゃあ、行きましょう。今日、入舎ノ考査を、受けるんでしょう?」
 「ああ、よろしく頼む。なるべく早い方がいいんだ。」
 サリムについて、学舎の中へ入った。
 木の香りと、涼しい屋内の空気を吸いながら、シャラはふうっと息をついた。
 (大丈夫…落ち着けばなんとかなる…)
 必死で言い聞かせた。実際、かなり緊張していたのだ。
 「…怖いか?」
 シャラは、はっとしてスフィルを見た。
 スフィルは、少し心配そうな顔で、こちらを見つめていた。
 慌てて、無言で首を振ると、スフィルは微笑んで言った。
 「大丈夫。シャラなら、受かる。シャラにとっては、簡単な問題ばかりだ。ここまで俺が教えたことを思い出せば、必ず受かる。」
 体中に入っていた力が、すんなり抜けていった気がした。
 「じゃあ、始めましょうか。そこに座って。ペンと紙はこれ。時間は、一時間半。見直しとかも終わって、もう大丈夫だと思ったら、早めに切り上げて、出してもいい。…開始。」
 さっと、全体に目を通した。
 計算、漢字の書き取り、文の読み取り、記述、作文。
 (三十分あれば…)
 ペンを手に取り、最初の答えを書いた瞬間、何も聞こえなくなった。
 
 よく見直すと、とん、とペンを置いて、サリムの方を見た。
 サリムが、驚いたように言った。
 「あら、もういいの?まだ、三十分も経ってないのよ?いいのね?それじゃあ、スフィルの方へ行ってなさい。採点するから。」
 さっさっと、採点していくサリムの手を、シャラはぼんやりと見つめていた。
 「頑張ったな…疲れたか?」
 「ううん…というより、簡単だった…」
 スフィルは、ふっと微笑んで言った。
 「そっか。受かってると思うよ。本当によく頑張ったな。」
 シャラは、返事をしなかった。
 今、ウォーター学舎にいること自体、信じられない。
 大体、受かるのは嬉しいが、受かってしまえば、すぐに別れなのだ。
 それが嫌だった。ずっと、もやもやしていたことだった。
 「まさか…そんな…信じられない…」
 サリムの声が聞こえてきて、シャラは我に返った。
 「サリム、どうした?」
 不安げに問うたスフィルに、サリムは、笑みを浮かべて言った。
 「シャラ、よく頑張ったわね。満点よ。シャラ・カウン、あなたが、ウォーター学舎に入舎することを、許可します。さて、早速だけど、今日から学生寮に入ってもらうわ。あなたは、この学舎で初めての女子なの。だから、一人で大部屋を独りじめよ。少し待っててね。」
 そう言うと、サリムはそばにあった紐を、静かに引いた。
 数十秒後、コンコン、とノックする音が聞こえ、次に声が聞こえた。
 「サリム先生!ハンナです!」
 「入ってきて。」
 音を立てて戸が開くと、そこには、恰幅の良い女性がいた。
 「シャラ、この人は、寮母のハンナ。これから、あなたの事を、世話してくれる人だからね。」
 ハンナは、満面の笑みを浮かべて言った。
 「ハンナ・レリーフよ!ハンナでいいから!よろしく!」
 シャラは、深く頭を下げながら言った。
 「私は、シャラ・カウンと申します。これから、お世話にならせていただきます。よろしくお願いいたします。」
 ハンナは、驚きと喜びを含んだ声で、明るく言った。
 「あらあら!礼儀正しいじゃない!ねえ、サリム先生、もう少し女の子の生徒を増やしましょうよ!」
 サリムは、苦笑を浮かべて頷いた。
 「そうね、考えておくわ。それより、シャラを、寮に案内してあげてくれないかしら?」
 よほど、嬉しいのだろう。
 満面の笑みのまま、ハンナは頷いた。
 「ええ、もちろんです!こんないい子なら、大歓迎だわ!さあ、いらっしゃい。ここ、ウォーター学舎の寮、ルテーハ荘にご案内するわ。」
 ルテーハ、とは明るさという意味だ。
 「明るさ…ですか?」
 「そうよ。ルテーハ荘が出来たのは、サリム先生が学長になられてからなのよ。全然大丈夫。本当に明るくて、うるさいガキ男子どもしか、いないんだから。」
 シャラの胸の内を、重く支配していたのは、期待よりも、黒々とした重い不安だった。
 受かったということは、スフィルと、別れなのだ。
 (スフィルがいたから…ここまで来れたのに…)
 不安げな気持ちを抱えて、学長室を出た。
 
 「いや…本当によかったよ。サリム、ありがとな。助かったよ。」
 サリムは、虚ろげに頷くと、一枚の紙を差し出した。
 「あの子…やっぱりシャラね…間違いない…見て、すぐにわかった。」
 さっと青ざめたスフィルに向かって、サリムは続けた。
 「この作文を書くのに、どれだけの、勇気がいったのかしら…読んでみて。」
 言われるがままに見てみると、そこにはここまでのシャラの歩んできた人生が、書かれていた。
 『私は、カウン国のリヨン・カウン女王の娘です。-』
 そこから先は、自分に話してくれたことが書いてあった。
 「リヨン・カウンといえば、『呪いノ民』ながらも、真面目に働いていた人だから…それに、これで謎が解けたのよ。なんでシャラが、あそこまで、礼儀正しいのかってことが…あの人の元で、生きてきたんだから…」
 そこでサリムは、息をつくと続けた。
 「別に私は、シャラの素性が王家の娘だろうと、『呪いノ民』だろうと何だろうと、生徒は生徒だし、まあ…色々あるわけだし…普通に扱うつもりよ。だけど…問題は、あの子の目なのよ。あんなにしっかりとした『青ノ瞳』は、あの人を除けば、初めて見た。恐らく、単なる遺伝だとは思うけど…。」
 スフィルは、この先のシャラの苦しみを思い、ため息をついた。
 これで良かったのだろう。
 これで、シャラは、街にいるよりも安全だ。
 でも、この重い気持ちは、なんだろうか。
 本当にこれが、シャラにすることだろうか。
 何はともあれ、ウォーター学舎へ、シャラが入れたのは、事実なのだ。
 スフィルは、安堵と後悔のため息をついた。
 外はもう、夕焼けが広がっていた。
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