戒められし者
二十二.大切な味方
シャラン…とカヤンの声が響いて、シャラは読んでいた薬学ノ書から顔を上げ、周りを見渡した。
あたりの木々はすっかり色づき、赤や黄色で染まっている。
初めて見る美しい山々の光景に、歓声を上げたシャラだったが、サリムやリューサは、獣舎の外にも中にも、大量の落ち葉が入って来るから、この時期は掃除に追われる季節で、毎年大変なんだ、とため息をついていた。
確かにその通りだった。
最初の方は、それこそ楽しかったものの、今となっては、葉を落とす落葉樹を恨みさえする日々が多くなった。
そんなシャラたちの恨みのこもった念とは裏腹に、カヤンは落ち葉がふんわりと積もった地面を歩くのが好きらしい。
おかげで、一歩外に出ようものなら、身体中に落ち葉をくっつけて帰ってくるから、シャラが払い落としてあげないといけない。
いつも文句を言うのだが、カヤンは聞こえないふりをして、いつも獣舎から離れた、見渡しノ丘へと、遊びにいかされる。
大きな木橋を通らなくてはならず、眼下に広がる崖を見ると、肝が縮む思いになる。
カヤンは、ぴょんと軽く飛ぶだけで向こう側に行けるから、うらやましくて仕方が無い。
今日も、広い丘を走って帰ってきたカヤンの身体は、案の定落ち葉まみれだった。
シャラはため息をつくと、こう言った。
「ちょっとカヤン…何回言わせるのよ。あなたは、私よりも身長が高いんだから、そんなにつけてきたら払えないの。ちゃんと払ってから、獣舎の中に入ってよ。あとから掃除するのは、私。分かった?」
『もちろん。そんなことぐらい分かってるよ。』と返事をしたカヤンが、突然ぴたっと動きを止めた。
「カヤン?」
呼びかけても反応がない。それどころか、うなっているではないか。
(森…?)
獣舎の方角に進む方向に広がる、森の方を向いて、カヤンがうなっている。
そっとカヤンの足元から除くと、すっと誰かが踵を返すのが見えた。
その服装を見た瞬間、頭がすうっと冷たくなり、激しいめまいがして、シャラは音を立てて倒れた。
『シャラ…シャラ…大丈夫?』
我に返ったカヤンが鳴いているのを聞いたが、起き上がれなかった。
(あれは…)
トワラ星全体に派遣されている、アントナ国の近衛兵の服だった。
(どうして…こんなところに…この場所は…ウォーター学舎の敷地なのに…)
そこで、シャラは意識を失った。
身体に何かかけられている。
火にかけられた湯沸かしノ瓶の音が聞こえる。
そこまでわかった時、シャラは思い出したように目を開けた。
目の前に、サリムとリューサがいた。二人とも青ざめて、こちらを見つめている。
「シャラ…大丈夫か?」
リューサの声を聞いた瞬間、丘でのことが思い出され、慌てて起き上がろうとした。
すると、なにを思ったか、そのシャラの肩を、サリムが強く押さえつけた。
「だめよ!まだ、寝てなさい!激しい貧血を起こしているのよ。今も顔が真っ青なの。無理してはいけない。」
シャラは、口を必死で動かして、こう聞いた。
「…カヤンは?」
「大丈夫よ。リューサが獣舎にいれてくれたわ。あ、そうだ…シャラ、あなたどこにいたの?」
どうしてそんなことを聞かれるのか、と思いつつも、いつも通り、見渡しノ丘にいた、と答えた。
サリムとリューサが、驚愕した表情で顔を見合わせた。
「待って、それ本当なの?」
頷くと、サリムはしばらく迷っていたが、やがて口を開いた。
「だからカヤンがあんなことを…」
「カヤン?カヤンが何をしたのですか?」
サリムはため息をつくと、こう言った。
「あなたを口にくわえて、飛んできたのよ。いつもとは違う泣き方をしていたから、おかしいと思って外に出た瞬間、私もリューサも固まったわ。カヤンの口元にあなたがいるんだもの。でも、リューサがはなせって言ったら、素直にはなしたから、傷つけるつもりはなかったことがわかって。ずっと困惑してたところなの。」
シャラは寒気を抑えることが出来なかった。
(カヤン…)
こらえきれずに、涙が頬を伝った。
(なんてことを…)
アントナ国の近衛兵がいるかもしれない森の上を、自分をくわえて飛んだというのか…。
カヤンの親切心が分かっても、恐怖しかなかった。
「え…シャラ?リューサ、ちょっと、シャラと二人だけにしてくれない?」
リューサは心配そうに、無言で頷き、部屋を出ていった。
「シャラ、しっかりなさい。何があったのか、話してくれる?」
シャラは嗚咽をしながらも、ゆっくりと話し始めた。
「見渡しノ丘のすぐ横に、小道が通る森があるでしょう?…あそこに、アントナ国の近衛兵がいたのです…それを見た瞬間に…貧血を起こして…」
サリムの顔が瞬時に青ざめた。
「なん…ですって…?」
サリムは立ち上がると、机の引き出しを開けた。
(あ…ここ…学長室…?)
あたりを見渡すと、歴代の学長の写真が飾ってあるから、間違いないだろう。
「あった…これだわ…。そのままでいい。これを、読んでみてほしいの。」
ゆっくりと受け取り、その紙が手記ノ紙だということを知った。
裏には、マーサー・アントナではなく、トワラ星各国ノ王と書いてある。
「なにこれ…事が…大きくなってるような…」
サリムが頷いた。
「その通りよ。どうやら、あなたの返答を書いた手記ノ紙を、マーサーは、つい先日あったと言われている、王ノ会議に通したみたいなのよ。無茶なことをするのね…本当にありえない。」
サリムの声を聞きながら、封を切り、声に出して読み始めた。
「親愛なるシャラへ
先日、そなたからの返答をもらい、そのまま王ノ会議へと通した。
全員、特にリーガンは苦しんでいた。
そして、そこから会議を進めた結果、ウォーター学舎に我々が赴くのはどうか、という案が出た…?」
この先は、何も頭に入ってこなかった。
「シャラ……見てもいい?」
頷いた自分の手から、サリムが、そっと手記ノ紙を取ったのがわかった。
「そんな…なんてことを…マーサー王は何を考えているのかしら。ここに来るですって?近衛兵だけでは足りないっていうの?どうして……シャラのことをどれだけ苦しめれば済むのよ。」
サリムは、怒りよりも、落胆の方が大きいようだった。
シャラは、寝具の上で手を握りしめた。
(お母様…)
もう遠くなった母の顔が浮かんだ。
(私は、どうすればいいの?)
母が、自分と同じ立場ならどうするだろうか。
決まっている。その現実を受け止めて、マーサーたちを招き入れるだろう。
そして、自分の意思を、貫き通すに違いない。
まだ、城に住んでいた頃、母に聞いたことがある。
辛い時や迷う時には、どうすればいいのかと問うた時、母はいつも話してくれる時のように、自分を膝に抱えてゆっくりと話してくれた。
『シャラ…人間は誰しも、迷うことがあるし、辛くなる時もあるわ。でも、それをどうやって対処するかによって、その先の道が決まってくるのよ。』
あの頃は、スフィルがいなくなり、アーシュが逝去したあとだった。
激しいショックを受けたリヨンとシャラは、様々なことを話すことで、気を紛らわせていた。
『私は…迷う時、辛い時には、空の星を見上げるのよ。』
あの時、瞬時に不思議な話だと思った。
星になんの意味があるのか。
そう思って問うと、母は微笑を浮かべながら、こう話してくれた。
『こういう詩があるのよ。[輝きたる星の光、美しくとも神秘なる光なり。そなたが迷いしその時、この光を眼中に入れれば、そなたを正しき道へ歩ませる。]っていう詩。あなたは知らないと思うわ。これは、魔術ノ民にまだ私がいた時、教えてもらった詩だからね。』
『え?誰から教えてもらったの?』
『誰だと思う?私のお兄さんよ。』
この時だけは、さすがに驚いたのを覚えている。
母に兄がいたことなど、初めて知ったことだったのだ。
シャラの顔を見て、変な顔、と笑いながら話してくれた。
『私の本当の名前は、リヨン・バス・アスジオというのよ。リヨンが名前で、アスジオが苗字っていうのはわかる?バスっていう部分は…魔術ノ民という大きな集団の中で、いくつかの少人数族に分かれているんだけど、その少人数族の名前をいれたものなの。私の場合は、バス族だから、バスって入っているの。つまり、私はバス族のアスジオ家に生まれた、リヨンという人ってわけ。』
そこで、ふっと視線を落として、リヨンはこう言った。
『私の兄は、ハジャレン・バス・アスジオというのよ。私は、ハジャ兄さんって呼んでたわ。私と同じで、止め笛を嫌っていたから、本当に近い存在でね…操りノ術も本当に上手だった。…よくこうやって話したわ。その時にあの詩を教えてもらえたのよ。』
ふいに、目の前がにじんだ。
母は、味方がいないわけではなかったのだ…それでも、止め笛を嫌う気持ちの方が勝り、一族を捨てた…。
そうすることで…母は最後の味方を失くしたのだ。自分がアーシュと結ばれることによって、一族に害が及ぶのを恐れて…自分は破門される道を選び、自分から味方を失くした…。
それでも、禁忌だけは母の頭から離れなかったのだろう。
だから…生けにえノ刑のあの時でも、大罪を犯すと言って、自分は死を選んだ…。
母も、王家に嫁ぐ時、こうやって迷ったのだろうか。苦しんだのだろうか。
自分が娘の目の前で死ぬとわかった時…あの時母は迷っていたが、その時母は、無意識に空を仰いでいた。
(空が明るくて見えずとも…母は星を見ていた…)
あの時母の頭には、兄のハジャレンの顔が浮かんでいたに違いない。
こらえていた涙が、溢れて寝具の上に落ちた。
自分が、ウォーター学舎に行くという王たちの案を受け入れれば、サリムもリューサも、間違いなく大きな曲がり角を曲がらされる…。
そんなことだけは絶対にしたくなかった…もうこれ以上、自分の身の周りにいる味方を…大切な人を失いたくなかった…。
声を殺して泣いているシャラを、サリムは何も言わずに抱きしめてくれた。
「シャラ…私とリューサで、ぎりぎりまで粘ってみるわ。抗議と反対の意思を込めた手記ノ紙を送り続けてみる。…もしかしたら、最悪な結果を招くかもしれない。でも、忘れないで。いつでも私たちはあなたの味方。近衛兵には気をつけて、これからもカヤンと過ごしなさい。…私たち、ウォーター学舎のみんなを信じて…お願い…。」
シャラは頷いた。
この味方を裏切らない。
そうやって決めた。母のようにはならない。頑張ってみせる。
外では雨が降っていた。
あたりの木々はすっかり色づき、赤や黄色で染まっている。
初めて見る美しい山々の光景に、歓声を上げたシャラだったが、サリムやリューサは、獣舎の外にも中にも、大量の落ち葉が入って来るから、この時期は掃除に追われる季節で、毎年大変なんだ、とため息をついていた。
確かにその通りだった。
最初の方は、それこそ楽しかったものの、今となっては、葉を落とす落葉樹を恨みさえする日々が多くなった。
そんなシャラたちの恨みのこもった念とは裏腹に、カヤンは落ち葉がふんわりと積もった地面を歩くのが好きらしい。
おかげで、一歩外に出ようものなら、身体中に落ち葉をくっつけて帰ってくるから、シャラが払い落としてあげないといけない。
いつも文句を言うのだが、カヤンは聞こえないふりをして、いつも獣舎から離れた、見渡しノ丘へと、遊びにいかされる。
大きな木橋を通らなくてはならず、眼下に広がる崖を見ると、肝が縮む思いになる。
カヤンは、ぴょんと軽く飛ぶだけで向こう側に行けるから、うらやましくて仕方が無い。
今日も、広い丘を走って帰ってきたカヤンの身体は、案の定落ち葉まみれだった。
シャラはため息をつくと、こう言った。
「ちょっとカヤン…何回言わせるのよ。あなたは、私よりも身長が高いんだから、そんなにつけてきたら払えないの。ちゃんと払ってから、獣舎の中に入ってよ。あとから掃除するのは、私。分かった?」
『もちろん。そんなことぐらい分かってるよ。』と返事をしたカヤンが、突然ぴたっと動きを止めた。
「カヤン?」
呼びかけても反応がない。それどころか、うなっているではないか。
(森…?)
獣舎の方角に進む方向に広がる、森の方を向いて、カヤンがうなっている。
そっとカヤンの足元から除くと、すっと誰かが踵を返すのが見えた。
その服装を見た瞬間、頭がすうっと冷たくなり、激しいめまいがして、シャラは音を立てて倒れた。
『シャラ…シャラ…大丈夫?』
我に返ったカヤンが鳴いているのを聞いたが、起き上がれなかった。
(あれは…)
トワラ星全体に派遣されている、アントナ国の近衛兵の服だった。
(どうして…こんなところに…この場所は…ウォーター学舎の敷地なのに…)
そこで、シャラは意識を失った。
身体に何かかけられている。
火にかけられた湯沸かしノ瓶の音が聞こえる。
そこまでわかった時、シャラは思い出したように目を開けた。
目の前に、サリムとリューサがいた。二人とも青ざめて、こちらを見つめている。
「シャラ…大丈夫か?」
リューサの声を聞いた瞬間、丘でのことが思い出され、慌てて起き上がろうとした。
すると、なにを思ったか、そのシャラの肩を、サリムが強く押さえつけた。
「だめよ!まだ、寝てなさい!激しい貧血を起こしているのよ。今も顔が真っ青なの。無理してはいけない。」
シャラは、口を必死で動かして、こう聞いた。
「…カヤンは?」
「大丈夫よ。リューサが獣舎にいれてくれたわ。あ、そうだ…シャラ、あなたどこにいたの?」
どうしてそんなことを聞かれるのか、と思いつつも、いつも通り、見渡しノ丘にいた、と答えた。
サリムとリューサが、驚愕した表情で顔を見合わせた。
「待って、それ本当なの?」
頷くと、サリムはしばらく迷っていたが、やがて口を開いた。
「だからカヤンがあんなことを…」
「カヤン?カヤンが何をしたのですか?」
サリムはため息をつくと、こう言った。
「あなたを口にくわえて、飛んできたのよ。いつもとは違う泣き方をしていたから、おかしいと思って外に出た瞬間、私もリューサも固まったわ。カヤンの口元にあなたがいるんだもの。でも、リューサがはなせって言ったら、素直にはなしたから、傷つけるつもりはなかったことがわかって。ずっと困惑してたところなの。」
シャラは寒気を抑えることが出来なかった。
(カヤン…)
こらえきれずに、涙が頬を伝った。
(なんてことを…)
アントナ国の近衛兵がいるかもしれない森の上を、自分をくわえて飛んだというのか…。
カヤンの親切心が分かっても、恐怖しかなかった。
「え…シャラ?リューサ、ちょっと、シャラと二人だけにしてくれない?」
リューサは心配そうに、無言で頷き、部屋を出ていった。
「シャラ、しっかりなさい。何があったのか、話してくれる?」
シャラは嗚咽をしながらも、ゆっくりと話し始めた。
「見渡しノ丘のすぐ横に、小道が通る森があるでしょう?…あそこに、アントナ国の近衛兵がいたのです…それを見た瞬間に…貧血を起こして…」
サリムの顔が瞬時に青ざめた。
「なん…ですって…?」
サリムは立ち上がると、机の引き出しを開けた。
(あ…ここ…学長室…?)
あたりを見渡すと、歴代の学長の写真が飾ってあるから、間違いないだろう。
「あった…これだわ…。そのままでいい。これを、読んでみてほしいの。」
ゆっくりと受け取り、その紙が手記ノ紙だということを知った。
裏には、マーサー・アントナではなく、トワラ星各国ノ王と書いてある。
「なにこれ…事が…大きくなってるような…」
サリムが頷いた。
「その通りよ。どうやら、あなたの返答を書いた手記ノ紙を、マーサーは、つい先日あったと言われている、王ノ会議に通したみたいなのよ。無茶なことをするのね…本当にありえない。」
サリムの声を聞きながら、封を切り、声に出して読み始めた。
「親愛なるシャラへ
先日、そなたからの返答をもらい、そのまま王ノ会議へと通した。
全員、特にリーガンは苦しんでいた。
そして、そこから会議を進めた結果、ウォーター学舎に我々が赴くのはどうか、という案が出た…?」
この先は、何も頭に入ってこなかった。
「シャラ……見てもいい?」
頷いた自分の手から、サリムが、そっと手記ノ紙を取ったのがわかった。
「そんな…なんてことを…マーサー王は何を考えているのかしら。ここに来るですって?近衛兵だけでは足りないっていうの?どうして……シャラのことをどれだけ苦しめれば済むのよ。」
サリムは、怒りよりも、落胆の方が大きいようだった。
シャラは、寝具の上で手を握りしめた。
(お母様…)
もう遠くなった母の顔が浮かんだ。
(私は、どうすればいいの?)
母が、自分と同じ立場ならどうするだろうか。
決まっている。その現実を受け止めて、マーサーたちを招き入れるだろう。
そして、自分の意思を、貫き通すに違いない。
まだ、城に住んでいた頃、母に聞いたことがある。
辛い時や迷う時には、どうすればいいのかと問うた時、母はいつも話してくれる時のように、自分を膝に抱えてゆっくりと話してくれた。
『シャラ…人間は誰しも、迷うことがあるし、辛くなる時もあるわ。でも、それをどうやって対処するかによって、その先の道が決まってくるのよ。』
あの頃は、スフィルがいなくなり、アーシュが逝去したあとだった。
激しいショックを受けたリヨンとシャラは、様々なことを話すことで、気を紛らわせていた。
『私は…迷う時、辛い時には、空の星を見上げるのよ。』
あの時、瞬時に不思議な話だと思った。
星になんの意味があるのか。
そう思って問うと、母は微笑を浮かべながら、こう話してくれた。
『こういう詩があるのよ。[輝きたる星の光、美しくとも神秘なる光なり。そなたが迷いしその時、この光を眼中に入れれば、そなたを正しき道へ歩ませる。]っていう詩。あなたは知らないと思うわ。これは、魔術ノ民にまだ私がいた時、教えてもらった詩だからね。』
『え?誰から教えてもらったの?』
『誰だと思う?私のお兄さんよ。』
この時だけは、さすがに驚いたのを覚えている。
母に兄がいたことなど、初めて知ったことだったのだ。
シャラの顔を見て、変な顔、と笑いながら話してくれた。
『私の本当の名前は、リヨン・バス・アスジオというのよ。リヨンが名前で、アスジオが苗字っていうのはわかる?バスっていう部分は…魔術ノ民という大きな集団の中で、いくつかの少人数族に分かれているんだけど、その少人数族の名前をいれたものなの。私の場合は、バス族だから、バスって入っているの。つまり、私はバス族のアスジオ家に生まれた、リヨンという人ってわけ。』
そこで、ふっと視線を落として、リヨンはこう言った。
『私の兄は、ハジャレン・バス・アスジオというのよ。私は、ハジャ兄さんって呼んでたわ。私と同じで、止め笛を嫌っていたから、本当に近い存在でね…操りノ術も本当に上手だった。…よくこうやって話したわ。その時にあの詩を教えてもらえたのよ。』
ふいに、目の前がにじんだ。
母は、味方がいないわけではなかったのだ…それでも、止め笛を嫌う気持ちの方が勝り、一族を捨てた…。
そうすることで…母は最後の味方を失くしたのだ。自分がアーシュと結ばれることによって、一族に害が及ぶのを恐れて…自分は破門される道を選び、自分から味方を失くした…。
それでも、禁忌だけは母の頭から離れなかったのだろう。
だから…生けにえノ刑のあの時でも、大罪を犯すと言って、自分は死を選んだ…。
母も、王家に嫁ぐ時、こうやって迷ったのだろうか。苦しんだのだろうか。
自分が娘の目の前で死ぬとわかった時…あの時母は迷っていたが、その時母は、無意識に空を仰いでいた。
(空が明るくて見えずとも…母は星を見ていた…)
あの時母の頭には、兄のハジャレンの顔が浮かんでいたに違いない。
こらえていた涙が、溢れて寝具の上に落ちた。
自分が、ウォーター学舎に行くという王たちの案を受け入れれば、サリムもリューサも、間違いなく大きな曲がり角を曲がらされる…。
そんなことだけは絶対にしたくなかった…もうこれ以上、自分の身の周りにいる味方を…大切な人を失いたくなかった…。
声を殺して泣いているシャラを、サリムは何も言わずに抱きしめてくれた。
「シャラ…私とリューサで、ぎりぎりまで粘ってみるわ。抗議と反対の意思を込めた手記ノ紙を送り続けてみる。…もしかしたら、最悪な結果を招くかもしれない。でも、忘れないで。いつでも私たちはあなたの味方。近衛兵には気をつけて、これからもカヤンと過ごしなさい。…私たち、ウォーター学舎のみんなを信じて…お願い…。」
シャラは頷いた。
この味方を裏切らない。
そうやって決めた。母のようにはならない。頑張ってみせる。
外では雨が降っていた。