戒められし者
二十八.リーガンへの恨み
 サリムとリューサは、何も言えなかった。
 マーサー達も、シャラの予想外の言葉と態度に、呆然と立ち尽くしている。
 シャラは、リーガンを軽蔑した目で見ながら、容赦なく、さらに冷たい言葉を浴びせた。
 「なぜ今更、会いに来たの?…私とお母様を見捨てたあなたが、どうして、今更になって、ここに来るのか分からない。教えてくれない?」
 リーガンは、目を伏せて、黙っている。
 シャラは、深くため息をつくと、踵を返して、竪琴を手に取ると、檻の中へ入った。
 王たちは、息を飲んだが、何も言わなかった。
 「カヤン、行くよ。」
 そう言うと、獣舎の戸を開けた。
 「おい…シャラ…」
 リューサが止めようとしたが、シャラは、リューサを一瞥するなり、肩を軽く上げると、「見渡しノ丘に行ってきます。」と言うなり、踵を返して、カヤンと外に出ていった。
 
 「本当に申し訳ございません…後でよく言い聞かせます…。」
 サリムとリューサは、王たちに頭を下げた。
 マーサーが、落胆した声で言った。
 「仕方あるまい…。リーガンが悪いのは事実なんだ。ああやって怒るのも、無理はないだろうな。…あの子が…シャラなのか?」
 サリムは、静かに頷いた。
 マーサーは、目を伏せると、つぶやくように言った。
 「リヨンに…よく似たな…。」
 サリムは、ぐっと手を握りしめ、リーガンに目を移した。
 「カウン国王、あなたの目的はなんですか?」
 そこでリーガンが、初めて口を開いた。
 「………シャラ王女…に…戻ってきて…頂きたいんです…。」
 震え、途切れ途切れになった言葉を聞いたその瞬間、リューサが怒鳴った。
 「はあ!?ふざけんな!何考えてんだよ!シャラは、もうカウン国の人間じゃないだぞ!どうして、もう一度戻れって言うんだよ!」
 サリムは、慌ててリューサを止めると、リーガンを見つめながら、口を開いた。
 「私は…どうなっても構いませんが、シャラを連れていくことだけは御容赦ください。私にとって、シャラは、先生と生徒を通り越して、大切な人なのです。」
 リーガンは答えなかったが、マーサーが眉をひそめた。
 「どういう事だ?」
 サリムは即座に言った。
 「私は、サリム・レッカーという名前ではありません。私の本当の名は、サリミア・カウンというのです。」
 王たちがざわめいた。
 サリムは、微動だにせず、続けた。
 「私は、カウン国元王子のスフィル・カウンの、双子の妹です。昔、シャラが生まれたことにより、私はルータイ国の貴族、レッカー家に養子として出されました。サリムというのは、サリミアの親しみを込めた呼び方でございます。…長くなりましたが、結論を申しますと、私にとっての本当の家族は、もはや、妹であるシャラしかいないのです。この気持ちは、マーサー王、あなた様なら、お分かりでしょう?」
 マーサーは、真顔で頷いたが、声も出ないようだった。少し経ってから、かすれた声を出した。
 「そうか…そなたが…あの…サリミアか…」
 サリムは、驚いて、マーサーのことを凝視した。
 「私を…知っていらっしゃるんですか?」
 マーサーは、微笑むと頷いた。
 「ああ、何度か…君のお父上、アーシュが生きていた頃に、会ったことがある。もっとも、あの頃の君は、挨拶をすれば、リヨンの後ろに隠れてしまうほど、幼くて、人見知りだったが…。確かに、よく見ると、顔がリヨンとスフィルに似ているな…。シャラにも、うっすらとではあるが…よく似ているな…。」
 サリムは、微笑んだ。
 「そうでございますか…。」
 と、外で雷の音が聞こえた。
 リューサが、さっと顔色を変えた。
 「サリム先生…シャラ、今、見渡しノ丘にいるんですよね?…帰ってくる時…森の中を通ってくるんじゃ…。」
 サリムも、はっとしたように、目を見開いた。
 「まずいわね…無事に帰ってくることを祈りましょう。シャラなら、的確な判断が出来るはずだから…。」
 その時だった。
 サラが、息せき切って走り込んできたのは…。
 「サリム先生!…シャラとカヤンが…突如、何者かに襲撃されています…!」
 サリムは、みるみるうちに青ざめていった。
 「そんな…!」
 走り出そうとしたサリムを、ラルが止めた。
 「危険です!俺たちが行きます!その場にいてください!…アスト!行くぞ!」
 見渡しノ丘の場所を聞くなり、ラルとアストは、獣舎を飛び出していった。
 
 「カヤン!逃げなさい!」
 シャラは、叫びながら、飛んでくる矢を、必死の思いで避けていた。
 カヤンが鳴いた。
 『シャラが死んじゃう』
 シャラは、激しく首を振った。
 「だめ!言うことを聞きなさい!逃げるのよ!」
 けれど、カヤンは微動だにしなかった。
 シャラは、カヤンの優しさと焦りで、目が熱くなるのを感じた。
 ―カヤンだけは、守らねば…。
 首飾りを持って、操りノ笛を吹こうとしたが、手が震えて、上手く持てない。
 (ハジャレン…)
 こらえきれず、涙が頬を伝った。
 (助けて…)
 その時、矢が右肩をかすった。
 「うっ…!」
 激しい痛みが、肩から全身に走り、呻いて倒れ込んだ。
 立とうとした瞬間、足にもかすって、立てなくなった。
 カヤンに目を向けて、ぞっとした。
 自分の方にだけ、矢が飛んできている。
 (私を…狙って…!)
 周りを見たが、雨と雷の音しかしない。
 (私…本当に雨の日にいいことがないわね…。)
 そんなことが、ふっと頭に浮かんだ時、矢が頬をかすったのがわかり、はっとした。
 そんな悠長なことを考えている暇などない。
 いつ、致命的なところに当たるか…時間の問題だった。
 寒気がした。
 (まだ…死にたくない…!)
 そんな思いが、手を動かした。
 痛みで朦朧とする中、何を考えたのかわからないほど、無我夢中で手を動かし、操りノ笛を手に取った。
 (お願い…反応して…!)
 ピー………
 ハジャレン―そう吹いたつもりだったが、もう何が何だか分からなかった。
 意味が無いのはわかっていたが、頭を抱えて、身体を丸めた。
 その上を、矢が降り注ぐ。
 その時だった。
 「シャラー!」
 聞きなれた…一番聞こえてほしかった声が聞こえた。
 「ハジャ…レン…」
 顔を上げ、歯を食いしばって、上半身を上げた瞬間、背中に矢が刺さった。
 「―ッ!」
 全身を、刃物で刺されたような、これまでにない、激しい痛みが襲った。
 声が出ず、その場にどさっと倒れた。
 痛みが全身に走り、動くどころか、指一本動かせない。
 「シャラ!」
 ハジャレンがそばに来たのが、うっすらとわかった。
 「ハ…ハジャ…レン…」
 そう言うのだけが、精一杯だった。
 
 ハジャレンは、少し迷ったが、さっと立ち上がると、こう叫んだ。
 「風よ、力を貸せ!我が声を聞きたまえ!この矢を全て、彼らに返せ!」
 ハジャレンが言い終えるなり、風向きが変わった。
 突風が吹き、矢が、打ち出した者たちの方へと向かっていく。
 「なっ…退避しろ!」
 相手は、慌てて逃げていった。
 ハジャレンは、真っ青な顔で、シャラのそばにひざまずいた。
 「シャラ…大丈夫か?」
 シャラは、荒い息をして、気を失いかけていた。
 「シャラ?…シャラ!おい!しっかりしろ!」
 抱き上げようとして、はっとした。
 魔術ノ民である自分が、今ここで、サリミア達の元へ行けば、大騒ぎになるだろう。
 それに、シャラが自分と繋がっていることを、知らせることになる。
 リーガンの前で、それは出来なかった。
 ハジャレンは立ち上がり、振り向くと、そばにいた青年に、声をかけた。
 「カルエン、頼めるか?」
 青年は頷くと、シャラを抱き上げ、走っていった。
 カヤンがそのあとを、ゆっくりとついて行った。
 ハジャレンは、その後ろ姿を見送ってから、その場に、がくっと膝をついた。
 (シャラは…)
 リーガンから離れようとして、ここに来ていたのだろう。
 操りノ笛をくわえ、涙を流したまま、無数の矢を受けていたシャラの姿が、脳裏に浮かんだ。
 (もう少し…しっかりと見てやるべきだった…。)
 深い悔いが胸を刺した。
 姿を見られるのを恐れて、森の奥にいたのがいけなかった。
 (いつでもそばにいると言っておきながら…なんてざまだ…。)
 無意識に、そばに落ちていた矢を拾い上げた時、目が熱くなった。
 (これは…)
 矢の先を削って、深く刺さるようにしてあった。
 (シャラは…これを受けたのか…)
 ふいに、激しい怒りがわいてきた。
 (一体…誰がこんなことを…)
 さっき、森の影に、ちらっと見えた衣…それは、カウン国の兵たちの制服だった。リーガンが、裏で何かしたとしか思えない。
 (あの男…)
 何を考えているのか、全くわからない。
 シャラを、魔術ノ民に無理やり連れていくことも出来る。それが最善の方法だろう。
 これ以上、シャラを危険に晒したくなかった。
 (だが…)
 目を閉じた。
 スフィルを亡くし、苦しんでいたシャラのそばにいたのは、自分ではなく、サリミアとリューサだ。
 あの二人がいてこその、今のシャラだろう…そんな二人から、シャラを引き離すことなど、絶対に出来なかった。
 (俺は…どうすればいい…?)
 サリミア達に、顔を見せるべきだろうか…そうすることで、なんの違和感もなく、シャラのそばにいてやるべきだろうか…。
 「あの…大丈夫ですか?」
 はっとして、目を開けた。
 (アントナ国の…近衛兵?)
 青年が目の前にいた。随分若い。
 「私は、ラル・シガンリー、こっちはアスト・キラード。アントナ国の近衛兵で…」
 ラルは、自分の顔を見て、突然固まった。
 (無理もない…俺は…呪いノ民なんだ…)
 そこで気がついた。
 アストは、ハジャレンの目の色で驚いているが、ラルに関しては、別の部分で驚いているようだった。
 「俺の顔に、なにかついてますか?」
 ラルは、しばらく黙っていたが、震える声で言った。
 「…カルエン…先輩?」
 ハジャレンは、ゆっくりと瞬きした。
 (そういうことか…。)
 目を閉じて、息を吸うと、口を開いた。
 「カルエンは、俺の弟だ。」
 ラルの目が、かすかに見開かれた。
 「弟…?こんなにそっくりなのに…?」
 ハジャレンは、眉を上げた。
 「よく言われるよ。でも、俺とカルエンの大きな違いは、目の色だ。二人とも、魔術ノ民…まあ、君たちからしたら、呪いノ民だが、どっちでもいい。俺ら二人は、その出身だが、カルエンは珍しい奴で…目が茶ノ瞳なんだ。全員が、青ノ瞳を持つ中で、ただ一人だけ、茶ノ瞳だった。理由は聞くなよ。誰にもわからん。まあ、隔世遺伝の一種だろう。それに、俺とカルエンは、リヨンの兄だ。」
 アストが、驚きを隠せない様子で、こう言った。
 「リ…リヨンって…カウン国の…元女王の…」
 ハジャレンは、頷いた。
 「ああ…リヨンは、正真正銘、俺の妹だ。途中で、故意に破門されて、カウン国王家に嫁いだが…俺の自慢の妹だったよ。」
 ラルは、真っ青な顔で震えながら、ハジャレンに聞いた。
 「シャラ王女は…あなたの姪?」
 ハジャレンは、冷淡な目をして頷くと、口を開いた。
 「今回のこの襲撃、どう考えてもリーガンの策だ。矢を放っていた者は、カウン国の衣をまとっていた。」
 息を吸うと、静かに言った。
 「俺はこれ以上、何を失えばいい?」
 雨と雷の音だけが響く中、ラルとアストは、声を出すことも忘れ、びしょ濡れになりながら、ハジャレンを見つめていた。
 ―リヨンを見捨て、殺したリーガンを、恨んでいるのは、シャラとサリムだけではないということが、これではっきりと分かったのだ。
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