戒められし者
三十.探れぬ闇
シャラの手当てをしていると、カルエンが入ってきた。
リューサが差し出した手ぬぐいで、したたる雨水を拭いながら、サリムに問うた。
「傷はどうだ。」
サリムは、静かに首を振った。
「治療はしていますが、傷が深くて…私もどうすればいいか分かりません。」
「見せてみろ。」
そう言うと、シャラの傷を見た。
矢の先が削ってあったため、深く刺さったのが、否応なしに見て取れる。
あとわずかでも、刺さる場所がずれていたら、心臓に刺さっていたはずだ。
思わず、手ぬぐいを、ぐっと握りしめた。涙が止まらなかった。
リヨンが、命をかけて救った娘を、リーガン・アントナは、いとも簡単に殺そうとしたのか…。
「カルエンさん…」
リューサが、そっと支えて、椅子に座らせた。
カルエンは、涙を拭うと、リューサとサリムを見た。
「…俺の正体が気になるか?」
「え…。」
「顔に出てるぞ。本当に『呪いノ民』なのかって。」
はっとしたように、二人が顔を背けたのを見届けてから、シャラに視線を移すと、ぽつぽつと語り始めた。
「俺は…リヨンと同じ、『魔術ノ民』だ。目の色は、隔世遺伝だろうが、紛れもない一族の人間だ。…最初は、嫌だった。全員の目が青いのに、俺の目だけが茶色なんだ。それでも、一族の皆は、決して差別などしなかった。…俺は、止め笛などを使うのは、なんとも思わんが、兄のハジャレンとリヨンに関しては、止め笛も、操りノ笛も、毛嫌いしている。獣を操ることに、激しい嫌悪感を抱いているんだ。リヨンが死ぬ間際、シャラを助けるがために、操りノ術を使ったと聞いた時は、耳を疑った。あれほど嫌っていた術を使うとは、俺もハジャレンも、予想外のことだったからな。」
カルエンは、小さな勲章を取り出した。
「これは、俺が近衛兵として働いていた頃にもらった、英雄を意味する勲章だ。俺は、カウン国を管轄にしてもらうことで、密かにリヨンを見守っていた。この勲章をもらっていたから、城に入る権利を持つことが出来て、ずっと近くで見守っていたんだ。」
サリムが静かに問うた。
「気づかれることは無かったのですか?」
カルエンは、にやっと笑った。
「俺は、近衛兵の中でも、かなりの変装の名人と言われる人間だったんだ。目が青くないのもあって、変装はしやすかった。名前も、カルエン・シエンタという名前にしていた。」
リューサが、首をひねりながら聞いてきた。
「え?カルエンと言えば、気づくんじゃ…」
「カルエンという名は、トワラ星の中では、多い方に入る名前だ。名字をそのままアスジオとしていたら、恐らく気づかれていただろうがな。」
サリムは、声も出せずに、ぼんやりとカルエンを見つめていた。
目は青くないものの、シャラと、遠くなった母、リヨンの顔に、カルエンはよく似ている。ハジャレンとは、瓜二つだ。
さっき笑った時の顔は、スフィルにかなり似ていた。
「あの…私のことは、ご存じですか?」
カルエンが、こちらを向いて、サリムの顔を見つめた。
しばらくしてから、カルエンの顔に、はっとしたような表情が浮かんだ。
「…そなた、まさか、サリミアか?」
涙ぐみながら、何度も頷くサリムに向かって、カルエンは続けた。
「そなたのことは、見たことがある。まだ幼かったが…そうか、もうこんなに大きくなったのか…リヨンによく似ているな。」
言いながら、シャラの頭を、さら…と撫でた。
愛おしい妹の娘…大切な人だ、と考えながら、ぽつっと呟いた。
「…細いな。」
「は?」
「こいつ…すごく痩せてないか?かなり細いぞ?」
リューサが、うつむいて言った。
「…リーガンが来るとわかってから、ずっと獣舎の方に泊まり込んでいたんです。そこで、ハジャレンさんとも会ったけれど…心細かったと思います。全然食事も食べてなかったし…見てるこっちが、すごく辛かった…。」
カルエンは、何も言わずに、シャラを見つめた。
少し前、ハジャレンが、息せき切って、家に帰ってきた時、涙ながらに教えてくれた言葉が、頭に浮かんだ。
『カルエン!生きていた…生きていたよ!』
何があったのか、と聞くと、ハジャレンの目から、涙が溢れた。
『シャラだ!リヨンの娘…シャラが生きていたんだよ!さっき会ってきたんだ。リヨンによく似ているんだ!』
ハジャレンが、あそこまで大きな声を上げたのは、泣いたのは、残る記憶の中では、恐らく初めてだっただろう。
そのぐらい、嬉しいことだったのだ。自分も、すごく喜んだのを覚えている。
(俺は…リヨンを許していたのか…?)
リヨンは、良くも悪くも、一族を捨てた人間だ。それに、禁忌を呆気なく犯した。
そのリヨンを、恨む気持ちはあった。
だが、なぜ、一族を捨てたのか…その挙句、禁忌まで犯したのか…それが分からぬまま、恨んでいた。
(俺は…リヨンを愛していた…。)
大切な人だった。一族を出てほしくなかった…今になって気がつくとは…。
ハジャレンも、同じ気持ちだろう。
その愛する妹が、ランギョに食われるところを、ハジャレンは、森で…池のすぐそばで、見たというのか…!
(許さない…リーガン・アントナ…!)
リーガンへの怒りに、歯を食いしばった時、空が白く光り、雷の音が轟いた。
王たちが、雨を避けながら、学舎内に、慌てた様子で入っていく。
その横で、呆然自失の状態で、ぼんやりと空を見上げて、雨に濡れている人がいた。
一瞬、リーガンだと思った。
だが、それが誰か分かった瞬間、カルエンは、思わず立ち上がった。
(ハジャレン…!)
なぜ、ハジャレンがいるのか…よく回らない頭のまま、外に駆け出した。
「え!?カルエンさん!?」
「そこにいろ!シャラを頼む!」
走りながら、窓から飛べば良かったと後悔したが、もう戻れない。
あれほど、掟を守り、人の前に出なかったハジャレンが、人前に出たというのか。
それだけが、頭にあった。他のことは、全て抜けてしまっていた。
「ハジャレン!」
学舎の土間を駆け抜けて叫ぶと、ハジャレンは、空からゆっくりと視線を移した。
「…カルエン…」
そう呟いたハジャレンの目に、涙が浮かび、頬を伝っていた。
「…来い。」
屋根の下に移動して、風を操り、少しだけ服を乾かしてやった。
「どうしたんだ?人の前に、姿を表さなかったのに。」
ハジャレンが、首を静かに振った。
「許せ…なかったんだ…。」
「誰を?」
「お前、シエンタを覚えているか?」
「シエンタ?昔、使っていた名前…ん?…シエンタ・バス・リアソンのことか!?」
「ああ…お前が使っていた名前を、呆気なくマーサーが出したんだ。そばに、サラ・シュニアンという、ここの用務がいた。それが、シエンタだった。それに気づいて、思わず飛び出したんだ。リーガンにも、一言言いたかったしな。」
カルエンは、頷きつつも、苦い顔をしていた。
ハジャレンには、カルエンの気持ちがよくわかった。
なぜ、人々の前に姿を見せるのか。それをすることは、魔術ノ民にとって、痛手だと、なぜ分からないのか。
そう言いたいのだ。
ハジャレンは、それは分かっている、と言うかのように頷くと、口を開いた。
「シャラは?」
カルエンは、静かに頷くと、踵を返した。
後ろから、ハジャレンがついて来ているのも確認せず、歩き続けた。
しばらくしてから、口を開いた。
「シャラは、矢を背に受けているが、心臓は外れている。だが、先が削ってあった関係もあって、かなり深く刺さっている。油断はできない状況だろうな…。」
ハジャレンは、何も言わなかったが、しばらくしてから口を開いた。
「…なぜ…シャラなんだろうな…」
「え?」
「なぜ…シャラばかりが、こんな目に遭うんだ!?シャラは、母であるリヨンも、兄であるスフィルくんも、短い期間に一気に失っている!ここで…リーガンに連れ去られたら…あいつは、最後の仲間と居場所を失うんだ…!なんで…シャラなんだよ…!」
「一回落ち着け。そこまで取り乱しても、何ともならない。」
「…そう…だな……」
「ハジャレン?」
振り向いた瞬間、ハジャレンは、息をつき、顔に手を当てて、ふらっと身体を傾けた。
「ハジャレン…!?」
慌てて立ち止まると、ハジャレンの肩を支えた。
顔が真っ青だった。
「う……」
軽く呻いたまま、微動だにしない。
(貧血…?あと少しで…シャラがいる学長室なのに…)
その時、学長室の戸が、ぱっと開いた。リューサだった。
「あ、カルエンさん!心配してたんですよ!……その方は?」
「君!頼む!手伝ってくれ!この男のことは、あとから説明するから!」
「え?あ、はい!分かりました。」
二人で、ハジャレンの腕を肩にかけ、そっと持ち上げた。
ハジャレンの体重がしっかり肩にかかっているところを見ると、かなり酷い貧血を起こしているみたいだった。
体重がかかっているとはいえど、随分軽い身体だった。
(三日以上、森で眠らずに、シャラを見守っていたんだ。大したもんだ。)
学長室に入るなり、サリムが駆け寄ってきたが、はたと動きを止めた。
「カルエンさん…その方は…?」
カルエンは、ハジャレンを寝かせるなり、どさっと椅子に座ると、シャラを見て、質問には答えずに、こう言った。
「…シャラの具合は?」
「え?…恐らく、もう大丈夫だと思います。呼吸も脈も、安定してきましたので…。」
カルエンは、少し目を閉じ、息をつくと言った。
「そうか……なあ、さっき、俺が連れてきた男性のこと、気になるか?」
サリムとリューサが頷いたのを見て、カルエンは遠くを見るような目をしながら、話し始めた。
「そこに寝ている男…そいつは、俺の兄、ハジャレンだ。」
サリムの顔に、はっとしたような表情が浮かんだ。
「あんた、ハジャレンを知っているのか?」
サリムが、かすれた声で言った。
「シャラから…よく聞いていました。聞いた時から、会ってみたいと思っていましたので…。」
カルエンは、ふっと微笑んだ。
「そうか…ハジャレンはな、シャラのことを、どうしても守りたかったんだ。リヨンに似たシャラを、リヨンを助けれなかった分、守ろうとしてたんだ。そのせいで、三日以上もの間、森の中で、眠らずにシャラを守っていた。そのぐらい、ハジャレンにとって、シャラの存在は大きいものなんだ。そして、シャラを守るために、力を使ったんだ。」
「力…?」
「操風ノ術という、風を操る力だ。恐らく、一族全員を探しても、使えるのは、ハジャレンただ一人。ただ、これを使うには…かなりの体力を使うんだ。最悪、死に至る、苦しい術だ。」
カルエンは、息をつくと言った。
「リーガンは…これ以上、シャラから…何を奪うんだ?」
静かに、涙が溢れた。
リーガンにとっては、自分達の存在など、どうでもいいものにしかならないだろう。
だが…シャラにとっては…何にも代えられない、大切な人だ。
(シャラを…苦しめて、何になるんだ…。)
思惑が全く見えない今、リーガンは、深い闇と化している。何も探れぬ闇に…。
これ以上、シャラをここにおいてはおけなかった。このままだと、確実にシャラは、カウン国に連れ戻される。
雷の音を聞きながら、カルエンの頭には、ある思いが湧き上がってきていた。
リューサが差し出した手ぬぐいで、したたる雨水を拭いながら、サリムに問うた。
「傷はどうだ。」
サリムは、静かに首を振った。
「治療はしていますが、傷が深くて…私もどうすればいいか分かりません。」
「見せてみろ。」
そう言うと、シャラの傷を見た。
矢の先が削ってあったため、深く刺さったのが、否応なしに見て取れる。
あとわずかでも、刺さる場所がずれていたら、心臓に刺さっていたはずだ。
思わず、手ぬぐいを、ぐっと握りしめた。涙が止まらなかった。
リヨンが、命をかけて救った娘を、リーガン・アントナは、いとも簡単に殺そうとしたのか…。
「カルエンさん…」
リューサが、そっと支えて、椅子に座らせた。
カルエンは、涙を拭うと、リューサとサリムを見た。
「…俺の正体が気になるか?」
「え…。」
「顔に出てるぞ。本当に『呪いノ民』なのかって。」
はっとしたように、二人が顔を背けたのを見届けてから、シャラに視線を移すと、ぽつぽつと語り始めた。
「俺は…リヨンと同じ、『魔術ノ民』だ。目の色は、隔世遺伝だろうが、紛れもない一族の人間だ。…最初は、嫌だった。全員の目が青いのに、俺の目だけが茶色なんだ。それでも、一族の皆は、決して差別などしなかった。…俺は、止め笛などを使うのは、なんとも思わんが、兄のハジャレンとリヨンに関しては、止め笛も、操りノ笛も、毛嫌いしている。獣を操ることに、激しい嫌悪感を抱いているんだ。リヨンが死ぬ間際、シャラを助けるがために、操りノ術を使ったと聞いた時は、耳を疑った。あれほど嫌っていた術を使うとは、俺もハジャレンも、予想外のことだったからな。」
カルエンは、小さな勲章を取り出した。
「これは、俺が近衛兵として働いていた頃にもらった、英雄を意味する勲章だ。俺は、カウン国を管轄にしてもらうことで、密かにリヨンを見守っていた。この勲章をもらっていたから、城に入る権利を持つことが出来て、ずっと近くで見守っていたんだ。」
サリムが静かに問うた。
「気づかれることは無かったのですか?」
カルエンは、にやっと笑った。
「俺は、近衛兵の中でも、かなりの変装の名人と言われる人間だったんだ。目が青くないのもあって、変装はしやすかった。名前も、カルエン・シエンタという名前にしていた。」
リューサが、首をひねりながら聞いてきた。
「え?カルエンと言えば、気づくんじゃ…」
「カルエンという名は、トワラ星の中では、多い方に入る名前だ。名字をそのままアスジオとしていたら、恐らく気づかれていただろうがな。」
サリムは、声も出せずに、ぼんやりとカルエンを見つめていた。
目は青くないものの、シャラと、遠くなった母、リヨンの顔に、カルエンはよく似ている。ハジャレンとは、瓜二つだ。
さっき笑った時の顔は、スフィルにかなり似ていた。
「あの…私のことは、ご存じですか?」
カルエンが、こちらを向いて、サリムの顔を見つめた。
しばらくしてから、カルエンの顔に、はっとしたような表情が浮かんだ。
「…そなた、まさか、サリミアか?」
涙ぐみながら、何度も頷くサリムに向かって、カルエンは続けた。
「そなたのことは、見たことがある。まだ幼かったが…そうか、もうこんなに大きくなったのか…リヨンによく似ているな。」
言いながら、シャラの頭を、さら…と撫でた。
愛おしい妹の娘…大切な人だ、と考えながら、ぽつっと呟いた。
「…細いな。」
「は?」
「こいつ…すごく痩せてないか?かなり細いぞ?」
リューサが、うつむいて言った。
「…リーガンが来るとわかってから、ずっと獣舎の方に泊まり込んでいたんです。そこで、ハジャレンさんとも会ったけれど…心細かったと思います。全然食事も食べてなかったし…見てるこっちが、すごく辛かった…。」
カルエンは、何も言わずに、シャラを見つめた。
少し前、ハジャレンが、息せき切って、家に帰ってきた時、涙ながらに教えてくれた言葉が、頭に浮かんだ。
『カルエン!生きていた…生きていたよ!』
何があったのか、と聞くと、ハジャレンの目から、涙が溢れた。
『シャラだ!リヨンの娘…シャラが生きていたんだよ!さっき会ってきたんだ。リヨンによく似ているんだ!』
ハジャレンが、あそこまで大きな声を上げたのは、泣いたのは、残る記憶の中では、恐らく初めてだっただろう。
そのぐらい、嬉しいことだったのだ。自分も、すごく喜んだのを覚えている。
(俺は…リヨンを許していたのか…?)
リヨンは、良くも悪くも、一族を捨てた人間だ。それに、禁忌を呆気なく犯した。
そのリヨンを、恨む気持ちはあった。
だが、なぜ、一族を捨てたのか…その挙句、禁忌まで犯したのか…それが分からぬまま、恨んでいた。
(俺は…リヨンを愛していた…。)
大切な人だった。一族を出てほしくなかった…今になって気がつくとは…。
ハジャレンも、同じ気持ちだろう。
その愛する妹が、ランギョに食われるところを、ハジャレンは、森で…池のすぐそばで、見たというのか…!
(許さない…リーガン・アントナ…!)
リーガンへの怒りに、歯を食いしばった時、空が白く光り、雷の音が轟いた。
王たちが、雨を避けながら、学舎内に、慌てた様子で入っていく。
その横で、呆然自失の状態で、ぼんやりと空を見上げて、雨に濡れている人がいた。
一瞬、リーガンだと思った。
だが、それが誰か分かった瞬間、カルエンは、思わず立ち上がった。
(ハジャレン…!)
なぜ、ハジャレンがいるのか…よく回らない頭のまま、外に駆け出した。
「え!?カルエンさん!?」
「そこにいろ!シャラを頼む!」
走りながら、窓から飛べば良かったと後悔したが、もう戻れない。
あれほど、掟を守り、人の前に出なかったハジャレンが、人前に出たというのか。
それだけが、頭にあった。他のことは、全て抜けてしまっていた。
「ハジャレン!」
学舎の土間を駆け抜けて叫ぶと、ハジャレンは、空からゆっくりと視線を移した。
「…カルエン…」
そう呟いたハジャレンの目に、涙が浮かび、頬を伝っていた。
「…来い。」
屋根の下に移動して、風を操り、少しだけ服を乾かしてやった。
「どうしたんだ?人の前に、姿を表さなかったのに。」
ハジャレンが、首を静かに振った。
「許せ…なかったんだ…。」
「誰を?」
「お前、シエンタを覚えているか?」
「シエンタ?昔、使っていた名前…ん?…シエンタ・バス・リアソンのことか!?」
「ああ…お前が使っていた名前を、呆気なくマーサーが出したんだ。そばに、サラ・シュニアンという、ここの用務がいた。それが、シエンタだった。それに気づいて、思わず飛び出したんだ。リーガンにも、一言言いたかったしな。」
カルエンは、頷きつつも、苦い顔をしていた。
ハジャレンには、カルエンの気持ちがよくわかった。
なぜ、人々の前に姿を見せるのか。それをすることは、魔術ノ民にとって、痛手だと、なぜ分からないのか。
そう言いたいのだ。
ハジャレンは、それは分かっている、と言うかのように頷くと、口を開いた。
「シャラは?」
カルエンは、静かに頷くと、踵を返した。
後ろから、ハジャレンがついて来ているのも確認せず、歩き続けた。
しばらくしてから、口を開いた。
「シャラは、矢を背に受けているが、心臓は外れている。だが、先が削ってあった関係もあって、かなり深く刺さっている。油断はできない状況だろうな…。」
ハジャレンは、何も言わなかったが、しばらくしてから口を開いた。
「…なぜ…シャラなんだろうな…」
「え?」
「なぜ…シャラばかりが、こんな目に遭うんだ!?シャラは、母であるリヨンも、兄であるスフィルくんも、短い期間に一気に失っている!ここで…リーガンに連れ去られたら…あいつは、最後の仲間と居場所を失うんだ…!なんで…シャラなんだよ…!」
「一回落ち着け。そこまで取り乱しても、何ともならない。」
「…そう…だな……」
「ハジャレン?」
振り向いた瞬間、ハジャレンは、息をつき、顔に手を当てて、ふらっと身体を傾けた。
「ハジャレン…!?」
慌てて立ち止まると、ハジャレンの肩を支えた。
顔が真っ青だった。
「う……」
軽く呻いたまま、微動だにしない。
(貧血…?あと少しで…シャラがいる学長室なのに…)
その時、学長室の戸が、ぱっと開いた。リューサだった。
「あ、カルエンさん!心配してたんですよ!……その方は?」
「君!頼む!手伝ってくれ!この男のことは、あとから説明するから!」
「え?あ、はい!分かりました。」
二人で、ハジャレンの腕を肩にかけ、そっと持ち上げた。
ハジャレンの体重がしっかり肩にかかっているところを見ると、かなり酷い貧血を起こしているみたいだった。
体重がかかっているとはいえど、随分軽い身体だった。
(三日以上、森で眠らずに、シャラを見守っていたんだ。大したもんだ。)
学長室に入るなり、サリムが駆け寄ってきたが、はたと動きを止めた。
「カルエンさん…その方は…?」
カルエンは、ハジャレンを寝かせるなり、どさっと椅子に座ると、シャラを見て、質問には答えずに、こう言った。
「…シャラの具合は?」
「え?…恐らく、もう大丈夫だと思います。呼吸も脈も、安定してきましたので…。」
カルエンは、少し目を閉じ、息をつくと言った。
「そうか……なあ、さっき、俺が連れてきた男性のこと、気になるか?」
サリムとリューサが頷いたのを見て、カルエンは遠くを見るような目をしながら、話し始めた。
「そこに寝ている男…そいつは、俺の兄、ハジャレンだ。」
サリムの顔に、はっとしたような表情が浮かんだ。
「あんた、ハジャレンを知っているのか?」
サリムが、かすれた声で言った。
「シャラから…よく聞いていました。聞いた時から、会ってみたいと思っていましたので…。」
カルエンは、ふっと微笑んだ。
「そうか…ハジャレンはな、シャラのことを、どうしても守りたかったんだ。リヨンに似たシャラを、リヨンを助けれなかった分、守ろうとしてたんだ。そのせいで、三日以上もの間、森の中で、眠らずにシャラを守っていた。そのぐらい、ハジャレンにとって、シャラの存在は大きいものなんだ。そして、シャラを守るために、力を使ったんだ。」
「力…?」
「操風ノ術という、風を操る力だ。恐らく、一族全員を探しても、使えるのは、ハジャレンただ一人。ただ、これを使うには…かなりの体力を使うんだ。最悪、死に至る、苦しい術だ。」
カルエンは、息をつくと言った。
「リーガンは…これ以上、シャラから…何を奪うんだ?」
静かに、涙が溢れた。
リーガンにとっては、自分達の存在など、どうでもいいものにしかならないだろう。
だが…シャラにとっては…何にも代えられない、大切な人だ。
(シャラを…苦しめて、何になるんだ…。)
思惑が全く見えない今、リーガンは、深い闇と化している。何も探れぬ闇に…。
これ以上、シャラをここにおいてはおけなかった。このままだと、確実にシャラは、カウン国に連れ戻される。
雷の音を聞きながら、カルエンの頭には、ある思いが湧き上がってきていた。