執着系上司の初恋
労わり方 前半
初登場
華のお母さん目線
「あ、お母さん?今大丈夫?」
平日の昼御飯時、珍しく次女(華)から電話がかかってきた。
平日の昼間など電話してくることがない子からの電話に、嫌な予感がして、
「どうしたの?なんかあった?体調でも悪いの?」
以前、入院した時のことを思い出し、携帯を握る指先が冷たくなるような感覚がして、つい携帯を握りしめてしまう。
「やだもう!私じゃないの!」
元気そうな次女の声にほっとしたが、私じゃないとはどういう意味かしら?
「あの、私の上司が昨日から高熱を出したんだけど、無理して家で仕事してたら、動けなくなっちゃったみたいでお見舞いに行くんだけど、何が必要だと思う?あと、いつも作ってくれたタマゴ粥の作り方教えて。」
なんだか言いにくそうに用件を言ってきた。
あらあら、、、上司のお見舞い?
最近寒いし、体調崩す人も多いけどわざわざ上司のお見舞いに行くってどうなのかしら?
「高熱ってインフルエンザじゃないの?わざわざ行って大丈夫?大人なんだし、上司が来いって言ってるの?」
心配になり聞いてみる。
「違う違う。そんな上司じゃないの。すごく尊敬できる人だよ。具合悪いのに頑張りすぎちゃってさ、昨日は無理してメールで指示してたんだけど、今日はほんと動けないみたいで、、、ちょっと心配、、なんだよ。インフルエンザじゃないみたいだし、それにみんなも一人暮らしだから様子見てきてって言ってて、上司の家は会社から近いみたいでさ。それで、、」
しどろもどろに一生懸命に説明するなんて。。まあ、普通の上司、部下ではないのかしらね。
以前の私なら、まだ色々と聞いていたけど、、今日はもう聞かないわ。大丈夫。あなたは本当は強い子だもの余計な心配はいらない。
「そう。一人暮らしじゃ心配ね。何か栄養あるもの買って行ってあげたら?食べやすいものも。ゼリーとかプリンとか、アイスなんかも熱があるときはいいかもね。お粥の作り方はメールで送るわ。簡単だけどね。お米ないかもしれないから、レトルトのご飯を買って行ったらいいんじゃないかしら?」
そうして、いつも作ってあげた玉子粥の作り方をメールした。
二年前、あの子にとって多分人生で一番辛い年だった。
社会人になってすぐに出来た彼氏と結婚すると言って、挨拶にこの家にも連れてきた。初めて見る次女の彼氏は優しそうで、恥ずかしそうに挨拶していて、頼りがいがあるタイプではないものの娘が決めた人ならばと快諾した。
うちには、主人がいない。次女が小学生の時に離婚している。何も嫌いあって別れたわけじゃない。すれ違ってしまったのだ。真面目に会社人間だった主人が他人のミスを負わされ左遷され、苦渋を味わった。もちろん私は会社に対して怒ったし、主人にもあなたが悪いんじゃない、会社のせいよ、ミスをなすりつけた人のせいよと慰めた。そんな日々が続く中、少しづつすれ違い始めた。飲んで帰ってきて帰りが遅くなる主人、その帰りを夜な夜な待つ私。慰めたくて、私は主人を認めない会社の愚痴を言うが話も聞かずに寝てしまう主人。
そうして、気がつけば修復できないほどの距離ができてしまった。何が悪かったのか、あの時は分からなかった。主人が離婚したい、教育費、生活費は出す。君とこれ以上一緒にいれば二人ともダメになってしまうと言われて、別れたいという主人を引き止めることなど出来なかった。
でも、翌年から子供の誕生日、クリスマスとプレゼントが送られてきた。次の年も、その次の年も。中学生になった子供にクマのぬいぐるみを送ってくる主人に呆れ、その翌年からは子供達からのリクエストを送ることにした。そのうち、私の誕生日にも花束が届くようになった。主人の考えてる事はよく分からない。
でも、そんな主人に久し振りに会いたいと私が電話したのは、次女が結婚をやめると言い出し、理由をいくら聞いても言わず、どんどんと痩せて入院した時だった。
次女が精神的にも体力的にも限界を迎えた時、私も限界だった。
次女も主人と同じように私から離れてしまって、話もできない状態で、母親なのに私は何もできずに彼女を追い詰めてしまった。自分の無力さが歯がゆく、胸を切り裂くような悲しみで涙は止まらなかった。なんで、私は大切な家族が苦しい時に支えられないのか、私の何がいけないのか、泣きながら会いにきてくれた主人に聞いた。
「心配するのは悪いことじゃない。ただ、本人と一緒に立ち止まって、周りを否定するだけじゃダメなんだ。
あの子ももう大人だ。どんなに辛いことがあったとしても、自分で立ち直って前に進まなきゃ、長い人生を歩いてはいけないだろう。俺たち、親が出来る事は、労わり、見守る事。子供がもうダメだと思った時、いつでも帰って来れるよう待っているしか出来ないんだ。」
主人にそう言われて、目が覚めた。私は、娘がかわいいと思うばかり、相手の悪口をずっと言っていた。あなたは悪くない、そう繰り返して。
そして、気づいた。主人にも同じ事をしていたのだと。
「私、また繰り返すところだったのね。。」
泣く私の背中をさする主人は、優しい笑顔でうなづいた。
それから、退院したあの子は痩せていたけど、憑き物が取れたようにすっきりとした顔で働きながら転職活動を始め、今の会社に転職した。
一人暮らししたいと言われた時、心配で反対してしまったが、主人に相談したら、一人の時間も必要だと言われた。だから、会社から近くならいいと条件を出し、週末いつでも帰ってこいとメールした。まあ、ほとんど帰ってこないけど、帰ってくるたび元気になっているようだった。それが嬉しいようで、寂しいのも本音だ。親って、なんだか損なものね。小さい時は、ママ、ママ付きまとって、離れなかったのに、大人になったら後ろで見守ってるしかできないなんて。
「はあ、でも、なんだか嬉しい。」
誰もいない部屋で、1人笑みがもれる。辛い思いをしたあの子に、また大切な人が出来たならそれは喜ばしい事だから。今度は、どうか幸せになってほしい、そう願わずにはいられない。
華のお母さん目線
「あ、お母さん?今大丈夫?」
平日の昼御飯時、珍しく次女(華)から電話がかかってきた。
平日の昼間など電話してくることがない子からの電話に、嫌な予感がして、
「どうしたの?なんかあった?体調でも悪いの?」
以前、入院した時のことを思い出し、携帯を握る指先が冷たくなるような感覚がして、つい携帯を握りしめてしまう。
「やだもう!私じゃないの!」
元気そうな次女の声にほっとしたが、私じゃないとはどういう意味かしら?
「あの、私の上司が昨日から高熱を出したんだけど、無理して家で仕事してたら、動けなくなっちゃったみたいでお見舞いに行くんだけど、何が必要だと思う?あと、いつも作ってくれたタマゴ粥の作り方教えて。」
なんだか言いにくそうに用件を言ってきた。
あらあら、、、上司のお見舞い?
最近寒いし、体調崩す人も多いけどわざわざ上司のお見舞いに行くってどうなのかしら?
「高熱ってインフルエンザじゃないの?わざわざ行って大丈夫?大人なんだし、上司が来いって言ってるの?」
心配になり聞いてみる。
「違う違う。そんな上司じゃないの。すごく尊敬できる人だよ。具合悪いのに頑張りすぎちゃってさ、昨日は無理してメールで指示してたんだけど、今日はほんと動けないみたいで、、、ちょっと心配、、なんだよ。インフルエンザじゃないみたいだし、それにみんなも一人暮らしだから様子見てきてって言ってて、上司の家は会社から近いみたいでさ。それで、、」
しどろもどろに一生懸命に説明するなんて。。まあ、普通の上司、部下ではないのかしらね。
以前の私なら、まだ色々と聞いていたけど、、今日はもう聞かないわ。大丈夫。あなたは本当は強い子だもの余計な心配はいらない。
「そう。一人暮らしじゃ心配ね。何か栄養あるもの買って行ってあげたら?食べやすいものも。ゼリーとかプリンとか、アイスなんかも熱があるときはいいかもね。お粥の作り方はメールで送るわ。簡単だけどね。お米ないかもしれないから、レトルトのご飯を買って行ったらいいんじゃないかしら?」
そうして、いつも作ってあげた玉子粥の作り方をメールした。
二年前、あの子にとって多分人生で一番辛い年だった。
社会人になってすぐに出来た彼氏と結婚すると言って、挨拶にこの家にも連れてきた。初めて見る次女の彼氏は優しそうで、恥ずかしそうに挨拶していて、頼りがいがあるタイプではないものの娘が決めた人ならばと快諾した。
うちには、主人がいない。次女が小学生の時に離婚している。何も嫌いあって別れたわけじゃない。すれ違ってしまったのだ。真面目に会社人間だった主人が他人のミスを負わされ左遷され、苦渋を味わった。もちろん私は会社に対して怒ったし、主人にもあなたが悪いんじゃない、会社のせいよ、ミスをなすりつけた人のせいよと慰めた。そんな日々が続く中、少しづつすれ違い始めた。飲んで帰ってきて帰りが遅くなる主人、その帰りを夜な夜な待つ私。慰めたくて、私は主人を認めない会社の愚痴を言うが話も聞かずに寝てしまう主人。
そうして、気がつけば修復できないほどの距離ができてしまった。何が悪かったのか、あの時は分からなかった。主人が離婚したい、教育費、生活費は出す。君とこれ以上一緒にいれば二人ともダメになってしまうと言われて、別れたいという主人を引き止めることなど出来なかった。
でも、翌年から子供の誕生日、クリスマスとプレゼントが送られてきた。次の年も、その次の年も。中学生になった子供にクマのぬいぐるみを送ってくる主人に呆れ、その翌年からは子供達からのリクエストを送ることにした。そのうち、私の誕生日にも花束が届くようになった。主人の考えてる事はよく分からない。
でも、そんな主人に久し振りに会いたいと私が電話したのは、次女が結婚をやめると言い出し、理由をいくら聞いても言わず、どんどんと痩せて入院した時だった。
次女が精神的にも体力的にも限界を迎えた時、私も限界だった。
次女も主人と同じように私から離れてしまって、話もできない状態で、母親なのに私は何もできずに彼女を追い詰めてしまった。自分の無力さが歯がゆく、胸を切り裂くような悲しみで涙は止まらなかった。なんで、私は大切な家族が苦しい時に支えられないのか、私の何がいけないのか、泣きながら会いにきてくれた主人に聞いた。
「心配するのは悪いことじゃない。ただ、本人と一緒に立ち止まって、周りを否定するだけじゃダメなんだ。
あの子ももう大人だ。どんなに辛いことがあったとしても、自分で立ち直って前に進まなきゃ、長い人生を歩いてはいけないだろう。俺たち、親が出来る事は、労わり、見守る事。子供がもうダメだと思った時、いつでも帰って来れるよう待っているしか出来ないんだ。」
主人にそう言われて、目が覚めた。私は、娘がかわいいと思うばかり、相手の悪口をずっと言っていた。あなたは悪くない、そう繰り返して。
そして、気づいた。主人にも同じ事をしていたのだと。
「私、また繰り返すところだったのね。。」
泣く私の背中をさする主人は、優しい笑顔でうなづいた。
それから、退院したあの子は痩せていたけど、憑き物が取れたようにすっきりとした顔で働きながら転職活動を始め、今の会社に転職した。
一人暮らししたいと言われた時、心配で反対してしまったが、主人に相談したら、一人の時間も必要だと言われた。だから、会社から近くならいいと条件を出し、週末いつでも帰ってこいとメールした。まあ、ほとんど帰ってこないけど、帰ってくるたび元気になっているようだった。それが嬉しいようで、寂しいのも本音だ。親って、なんだか損なものね。小さい時は、ママ、ママ付きまとって、離れなかったのに、大人になったら後ろで見守ってるしかできないなんて。
「はあ、でも、なんだか嬉しい。」
誰もいない部屋で、1人笑みがもれる。辛い思いをしたあの子に、また大切な人が出来たならそれは喜ばしい事だから。今度は、どうか幸せになってほしい、そう願わずにはいられない。