きみに届け。はじまりの歌

「最初は興味なかったんだけど、やってみたら意外とはまっちゃってさ。くだらないこととか笑えることとか、悩みだったりも届いたりして案外面白いよな、これ。そうだ、ナナセも息抜きにやってみたらどうだ。むかしやってたってんなら仕組みも知ってんだろ」
「そうですけど、やってたって言ってもすぐにやめたからあんまり覚えてないですよ」
「嫌ならまたやめちゃえばいいんだからさ。無料のアプリだし、ちょっと登録するだけしてみろって」

あまり気は進まなかったが、おそらく木村さんなりにわたしが気分転換できるよう提案をしてくれているのだろうし、多少なりとも懐かしさがあるのも確かだったからとりあえずタ言われるがままブレットにインストールしてみた。

アプリを開いてみて現れたスタートの画面は記憶と同じだ。草原と青空の中に並ぶ五つの卵からひとつを選ぶ。
するとそれが孵化し、自分だけの『イキモノ』が生まれる。

「お、生まれたな。おれのよりブサイクだな」
「うるさいですよ。木村さんのだって可愛くなかったくせに」

わたしのイキモノは、緑色の鳥……のような、よくわからない生物だった。
なぜか右手に三色団子を持っている。確かにあまり可愛くはなかった。

このアプリは、簡単に言えば、まったく知らない誰かとメッセージを送受信し合えるというだけの内容だったはずだ。
つまり、メールなどとは違い、送る側も受け取る側も相手を選べない。誰と繋がるかわからない。
世界中でこのアプリをやっているすべての人の中から、自分の知らないたったひとりにメッセージが送られ、同じようにどこかの誰かからのメッセージが届く。
ひとりごとを呟くつもりでメッセージを送る人もいれば、相談事の返事を期待する人もいる。
反対に、自分からは送らずに、誰かからのメッセージが届くのを面白おかしく待つ人もいる。利用の仕方は様々だ。

「でも、何を送ればいいかわかんないな」
「じゃあとりあえず、メッセージを受け取れる状態にしておけば?」
「そうですね。自分で送るより、他人からのメッセージを見るほうが楽しそうですし」

受け取れるよう設定だけして、一旦アプリを閉じた。
スタジオの入ったビルを出てタクシーを捕まえる。車の外で手を振る木村さんに振り返し、見えなくなったところで背もたれに体を預けた。
すっかり緑に変わった桜並木を窓越しに見て、もう五月に入ったことを思い出した。
都会の街並みもすっかり見慣れてしまった。東京に来て、九回目の春が終わった。

ピコン、と聞き慣れない音が鞄から鳴る。
タブレットを取り出し、さっきインストールしたばかりのアプリを開いた。
イキモノが、横に置かれた真っ赤なポストを指している。蓋の空いたポストの中には、一枚の封筒が入っている。
まさかもう受信するとはと驚きながら、受け取った、どこかの誰かからのメッセージを開く。

興味はなかった、はずだった。そのメッセージを見るまでは、木村さんには悪いがきっと明日にはアプリを開かなくなっているだろうと思っていた。

イキモノが持ってきたメッセージには、たった一行、こう書かれていた。

『わたしらしさって、なんだろう』


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