甘え上手でイジワルで
過去
この建物は階ごとに自動販売機がある談話コーナーが設けてある。
私は明良くんをそこに連れて行く。
まず、自動販売機で飲み物を買おうかと思ったけど、私達がついさっきまでクリスマスパーティーをしていたのだから、とやめた。
本社からここに飛ばされて、パーティーから談話室に移動して、そんな風に山あり谷ありの毎日だな、と思ったりする。
それなりに生きてきて、私はその山あり谷ありを受け入れられる大人になった。
明良くんはどうだろう。
つんとして生意気だけど、まだ小学生の明良くん。
彼と一人分あいだを開けて、ソファに並んで座った。
「……草壁くんが、乱暴してごめんね」
私が真っ先に草壁くんについて詫びると、明良くんは目を大きくして私の顔を見た。
それから俯いた。
「たかが、子供のしたことにムキになって、あいつバッカじゃねーの……」
憎まれ口は弱々しく、私には謝罪のように聞こえた。
「むかし、私がした大失敗のこと、聞いてくれる? 明良くん」
彼の返事はなかったが、私は話し出した。
あれはまだ私が高校三年生の秋。
受験を控えて、私は志望校に合格するために毎日勉強していた。
パパと同じ大学に入りたいって、思っていたから。
それから、病院でのボランティアも続けていた。
他の子から見ると、私はあまり遊んだりもしない、地味な高校生だった。
クラスメイトとは仲が悪いわけじゃなかったけど、受験期って仲良しでも少し関係がぎしぎしするものだから、そんなに友人関係を大切にしようという思いもなかった。
「ボランティアでね、ナオに出会ったの」
ナオは、お世話になった小児科医の先生が連れてきた子供だった。中学一年生だと聞いていた。人嫌いのナオ。変わり者のナオ。悪魔みたいだったナオ。
「ナオも、学校に行ってなかったんだ」
明良くんの肩がぴくりと揺れた。
「……友達になってやってくれないか、って言われたんだ、そのお医者さんに」
伸ばしっぱなしの髪で顔は隠れ、サイズ違いのぶかぶかの服を着ていたナオと友達になれと言われて、私は快諾した。
「いいですよ、って私答えたんだ。……学校に行ってない、かわいそうな子だから、私が友達になってあげようって思ったの。あはは、最低でしょ」
ナオは目に見えた疾患は持っていなかった。けれど医師は、ナオの心は凍りついていると言った。ナオの心は固く閉ざされて、誰もその中に入れないと言った。
「じゃあ私が、ナオの心を開いて、立ち直らせる。学校にも行かせてみせる。友達になってあげる……。すごい傲慢な考えだよね。今ならそれがわかるの。私はちっともナオの気持ちを理解しなかったし……本当は、ナオの友達に、なりたいなんて思ってもいなかった」
でも、私はそれが正しいと思っていた。自分は間違っていない。ナオは私と友達になるべきだ、そうして治るべきだ、そういう考えをナオに押しつけた。
「ほんと……最低だよね、ナオにはそれがお見通しだった。だから、ナオは私を試した」
明良くんが、ぽつっと口を開いた。
「何……されたの?」
「俺のいうことを聞いたら、友達になってやるって言われたの。簡単だって思った。でもそうじゃなかった」
簡単なおつかい程度から始まったナオの命令は、次第に私の生活を蝕んでいった。メールや電話は、何時であろうとも相手をしなければいけなかった。ナオは私が他の子供たちと仲良くするのを嫌った。わざとらしく私を『先輩』と呼んで、回りのひとにはさも仲が良さそうに振る舞った。ナオは私以外には冷淡なままで、私はボランティアたちの中でも孤立した。
「ナオは私と二人になると、いつもひどいことを言ってきた。ボランティアとかいい気になってるけど、どうせあんたは家に帰ったらここにいる子供たちのことは忘れるんだろ。かわいそうな子供達にやさしくしてやっているつもりなんだろ、たかが一週間に一時間か二時間遊んでやって、それで何がわかってるつもりなんだって……そういうのが一番残酷なんだよって、ナオは私に言った。私はナオに負けたくなかった。そんな気持ちじゃなかった、私は本当に、ただ……ただ、いいことをしたいと思っていた」
「そういうのの」
明良くんは私が言わなかったことを代弁した。
「そういうのが、偽善者だって、そいつは言ったんだろ」
「そうね。……私は、ナオが怖かった。ナオが、嘘を言ってないって思ったから」
鏡の迷宮に閉じ込められたような気持ちだった。
どちらをむいても、ナオが持つ鏡が待っていて、鏡の中には私が映っている。でも、誰も私とナオのいびつな関係に気づかない。
「ナオが悪魔みたいに思えた」
「そいつとは、どうなったの?」
「どうなったと思う?」
ふふ、と笑って私は明良くんの表情を窺った。
明良くんの顔は、さっきみたいにとげとげしいものではない。いたわりみたいなものが見えた。
「それでも、私はナオの言うことを聞き続ければ、きっとナオもわかってくれる。私は間違ってないって思っていたんだけど、ナオじゃなくてね、お医者さんに止められちゃった」
私は髪を耳にかき上げた。
事態にやっと気づいた小児科の医師が、私とナオの間に割って入った。
そして説得された。『君には大きすぎる仕事を頼んでしまったね。ボランティアの君に頼むことではなかったね』と医師は言った。
私はもう、期待されていないのだと思った。ここまでナオのふるまいに耐え続けた意味もないのだと思った。
「それでね、ナオに……いなくなれって言ったの。二度と私の前にあらわれないでって。ナオはふーん、って言って、本当にいなくなった」
「すごい中途半端」
「あは、そうだね。中途半端だったのは私。私には、大きすぎる仕事だったの」
明良くんは、はあっとため息をついて、伸びをした。
「で、それがどうしたの?」
「だから、私は自分に見合った仕事を、自分にできる範囲で頑張るって決めてるの」
「……それが俺に何の関係が」
「あるわ。私にとっては、あなたに信頼してもらうように努力することが、今すべき仕事なのよ」
ぱちくりと瞬きをして、明良くんは足をぶらんとさせた。
「変な大人」
「大人だからよ。大人だから、自分の仕事に責任が持てるの」
明良くんと私は少しだけ笑った。それから私に小さな声で「ごめん」と言った。
私は「いいよ」と言った。
今すぐに事情を話して欲しいとは思わない。でも、誰かを頼りたくなった時、私もいるって思い出して欲しい。明良くんも、明良くんのママも、私のマネジメント対象者なんだからね。
「……あんたは、俺に学校行けって言わないの?」
「言って欲しいの?」
「……ううん。でも、みんな言う」
みんなの中に、ママも含まれているのかもしれない。
「ナオは学校に行ってなかったけど、私よりずっと頭が良かったわよ」
「マジで?」
「マジよ、マジ」
「そいつにまた、会いたい?」
私は首をふった。彼との出会いで私は多くを学んだと思う。
けれど、今でも彼を思い出すと怖いのだ。怖くて、自分が情けなくて……だから、もう二度と会いたくない。
「ふーん、でもわかったよ。学校に行ってなかったナオ、ね。……さっきから隠れてるのわかってるんだけど」
明良くんが椅子からぴょんっと飛んで立ち上がる。
彼の視線の先には、草壁くんが立っていた。
私も慌てて立ち上がる。
「草壁くん、あの」
「……先輩、僕はどうすればいいですか?」
草壁くんの声は心持ち低い。
明良くんがなぜか、草壁くんと私の間に、まるで私を庇うみたいに立った。
草壁くんがすっと目を細めた。
……何だか、すごく怖い顔をしている。
「俺は謝ったからな!」
明良くんは言って、草壁くんのわきをすり抜けて去って行く。
談話コーナーには、私と草壁くんだけが残されてしまった。
私は明良くんをそこに連れて行く。
まず、自動販売機で飲み物を買おうかと思ったけど、私達がついさっきまでクリスマスパーティーをしていたのだから、とやめた。
本社からここに飛ばされて、パーティーから談話室に移動して、そんな風に山あり谷ありの毎日だな、と思ったりする。
それなりに生きてきて、私はその山あり谷ありを受け入れられる大人になった。
明良くんはどうだろう。
つんとして生意気だけど、まだ小学生の明良くん。
彼と一人分あいだを開けて、ソファに並んで座った。
「……草壁くんが、乱暴してごめんね」
私が真っ先に草壁くんについて詫びると、明良くんは目を大きくして私の顔を見た。
それから俯いた。
「たかが、子供のしたことにムキになって、あいつバッカじゃねーの……」
憎まれ口は弱々しく、私には謝罪のように聞こえた。
「むかし、私がした大失敗のこと、聞いてくれる? 明良くん」
彼の返事はなかったが、私は話し出した。
あれはまだ私が高校三年生の秋。
受験を控えて、私は志望校に合格するために毎日勉強していた。
パパと同じ大学に入りたいって、思っていたから。
それから、病院でのボランティアも続けていた。
他の子から見ると、私はあまり遊んだりもしない、地味な高校生だった。
クラスメイトとは仲が悪いわけじゃなかったけど、受験期って仲良しでも少し関係がぎしぎしするものだから、そんなに友人関係を大切にしようという思いもなかった。
「ボランティアでね、ナオに出会ったの」
ナオは、お世話になった小児科医の先生が連れてきた子供だった。中学一年生だと聞いていた。人嫌いのナオ。変わり者のナオ。悪魔みたいだったナオ。
「ナオも、学校に行ってなかったんだ」
明良くんの肩がぴくりと揺れた。
「……友達になってやってくれないか、って言われたんだ、そのお医者さんに」
伸ばしっぱなしの髪で顔は隠れ、サイズ違いのぶかぶかの服を着ていたナオと友達になれと言われて、私は快諾した。
「いいですよ、って私答えたんだ。……学校に行ってない、かわいそうな子だから、私が友達になってあげようって思ったの。あはは、最低でしょ」
ナオは目に見えた疾患は持っていなかった。けれど医師は、ナオの心は凍りついていると言った。ナオの心は固く閉ざされて、誰もその中に入れないと言った。
「じゃあ私が、ナオの心を開いて、立ち直らせる。学校にも行かせてみせる。友達になってあげる……。すごい傲慢な考えだよね。今ならそれがわかるの。私はちっともナオの気持ちを理解しなかったし……本当は、ナオの友達に、なりたいなんて思ってもいなかった」
でも、私はそれが正しいと思っていた。自分は間違っていない。ナオは私と友達になるべきだ、そうして治るべきだ、そういう考えをナオに押しつけた。
「ほんと……最低だよね、ナオにはそれがお見通しだった。だから、ナオは私を試した」
明良くんが、ぽつっと口を開いた。
「何……されたの?」
「俺のいうことを聞いたら、友達になってやるって言われたの。簡単だって思った。でもそうじゃなかった」
簡単なおつかい程度から始まったナオの命令は、次第に私の生活を蝕んでいった。メールや電話は、何時であろうとも相手をしなければいけなかった。ナオは私が他の子供たちと仲良くするのを嫌った。わざとらしく私を『先輩』と呼んで、回りのひとにはさも仲が良さそうに振る舞った。ナオは私以外には冷淡なままで、私はボランティアたちの中でも孤立した。
「ナオは私と二人になると、いつもひどいことを言ってきた。ボランティアとかいい気になってるけど、どうせあんたは家に帰ったらここにいる子供たちのことは忘れるんだろ。かわいそうな子供達にやさしくしてやっているつもりなんだろ、たかが一週間に一時間か二時間遊んでやって、それで何がわかってるつもりなんだって……そういうのが一番残酷なんだよって、ナオは私に言った。私はナオに負けたくなかった。そんな気持ちじゃなかった、私は本当に、ただ……ただ、いいことをしたいと思っていた」
「そういうのの」
明良くんは私が言わなかったことを代弁した。
「そういうのが、偽善者だって、そいつは言ったんだろ」
「そうね。……私は、ナオが怖かった。ナオが、嘘を言ってないって思ったから」
鏡の迷宮に閉じ込められたような気持ちだった。
どちらをむいても、ナオが持つ鏡が待っていて、鏡の中には私が映っている。でも、誰も私とナオのいびつな関係に気づかない。
「ナオが悪魔みたいに思えた」
「そいつとは、どうなったの?」
「どうなったと思う?」
ふふ、と笑って私は明良くんの表情を窺った。
明良くんの顔は、さっきみたいにとげとげしいものではない。いたわりみたいなものが見えた。
「それでも、私はナオの言うことを聞き続ければ、きっとナオもわかってくれる。私は間違ってないって思っていたんだけど、ナオじゃなくてね、お医者さんに止められちゃった」
私は髪を耳にかき上げた。
事態にやっと気づいた小児科の医師が、私とナオの間に割って入った。
そして説得された。『君には大きすぎる仕事を頼んでしまったね。ボランティアの君に頼むことではなかったね』と医師は言った。
私はもう、期待されていないのだと思った。ここまでナオのふるまいに耐え続けた意味もないのだと思った。
「それでね、ナオに……いなくなれって言ったの。二度と私の前にあらわれないでって。ナオはふーん、って言って、本当にいなくなった」
「すごい中途半端」
「あは、そうだね。中途半端だったのは私。私には、大きすぎる仕事だったの」
明良くんは、はあっとため息をついて、伸びをした。
「で、それがどうしたの?」
「だから、私は自分に見合った仕事を、自分にできる範囲で頑張るって決めてるの」
「……それが俺に何の関係が」
「あるわ。私にとっては、あなたに信頼してもらうように努力することが、今すべき仕事なのよ」
ぱちくりと瞬きをして、明良くんは足をぶらんとさせた。
「変な大人」
「大人だからよ。大人だから、自分の仕事に責任が持てるの」
明良くんと私は少しだけ笑った。それから私に小さな声で「ごめん」と言った。
私は「いいよ」と言った。
今すぐに事情を話して欲しいとは思わない。でも、誰かを頼りたくなった時、私もいるって思い出して欲しい。明良くんも、明良くんのママも、私のマネジメント対象者なんだからね。
「……あんたは、俺に学校行けって言わないの?」
「言って欲しいの?」
「……ううん。でも、みんな言う」
みんなの中に、ママも含まれているのかもしれない。
「ナオは学校に行ってなかったけど、私よりずっと頭が良かったわよ」
「マジで?」
「マジよ、マジ」
「そいつにまた、会いたい?」
私は首をふった。彼との出会いで私は多くを学んだと思う。
けれど、今でも彼を思い出すと怖いのだ。怖くて、自分が情けなくて……だから、もう二度と会いたくない。
「ふーん、でもわかったよ。学校に行ってなかったナオ、ね。……さっきから隠れてるのわかってるんだけど」
明良くんが椅子からぴょんっと飛んで立ち上がる。
彼の視線の先には、草壁くんが立っていた。
私も慌てて立ち上がる。
「草壁くん、あの」
「……先輩、僕はどうすればいいですか?」
草壁くんの声は心持ち低い。
明良くんがなぜか、草壁くんと私の間に、まるで私を庇うみたいに立った。
草壁くんがすっと目を細めた。
……何だか、すごく怖い顔をしている。
「俺は謝ったからな!」
明良くんは言って、草壁くんのわきをすり抜けて去って行く。
談話コーナーには、私と草壁くんだけが残されてしまった。