甘え上手でイジワルで
がんばる理由
草壁くんは重さを感じさせないくらいスマートに、二階にある南向きの一室に私のスーツケースを運び入れた。
着いていくと、この家はなかなか面白い間取りをしている。一階はリビングダイニングがひとつながりになっている。
玄関から入ってすぐ左手はお手洗い、吹き抜けになっている階段を上がっていくと、中二階にバスルームとランドリー。二階は居室が三つあった。
「あとは、一階に書斎ですね。どこも自由に使ってくれて構いませんが、僕は書斎を使わせて貰っています」
「建て売り分譲にしては、随分凝った間取りだけど……」
「向こうにあった家をばらして、こっちに持ってきて立て直した家なんです。こちらの間取りは少し僕には窮屈で」
うんうんと頷いてから、はたと気づく。
それって、草壁くんが気に入った家を、日本に持ってきて立て直させたってこと?
「……草壁くんって、いつからAT室に配属になったの?」
階段の踊り場で足を止めて聞いてみる。先に降りていた草壁くんは私を振り返った。
「……僕について知りたいと思ってくれるんですか?」
ハンサムな顔に、くすぐったそうな微笑みが浮かぶ。
私は慌てて手を振った。
「ち、違う! いや、あの違わないんだけど、あの」
「今夜は、先輩を歓迎するためにディナーと行きたかったのですが、あいにくこの辺にはろくな店がありません」
確かに、田舎だものね。スーパーだって駅から来るまでに一軒二軒……。
「なので、僕が準備します。少し時間を貰ってもいいですか? すぐ用意しますから。その間に、先輩はバスを使って下さい」
「草壁くん、料理できるの?」
「まあ、たしなむ程度に」
テーブルの上には所狭しとごちそうが並べられていた。
丸ごとタマネギとベーコンのスープ。パスタは二種類と、ガーリックバターでトーストしたパン。具だくさんのグラタンとミートローフ、デザートのチーズケーキ。
それから驚いたことに、草壁くんは自分でシェイカーを振って、飲み物を作ってくれた。私は調子に乗って勧められるまま杯を重ねていた。
「たしなむ程度、なんて嘘ばっかり」
「作り置きできるものばかりですし、簡単なものしか作れません」
腕まくりをしてエプロンをした草壁くんは、器用に皿に料理を取り分けると私の前に置いてくれる。
「……草壁くん、私のお世話ばっかりして、自分は食べてる?」
「食べてます、と言いたいところですが、本当は先輩が目の前にいるのが嬉しすぎて、喉を通らないところです」
「またそういう冗談を言う……」
草壁くんが作る飲み物はとてもきれいな色で、甘くておいしい。
グラスを弾くと、チンと澄んだ音がした。
この時点で私はしたたか酔っていた――のだと思う。
彼が作ってくれたお酒は、飲みやすかったけれどそれなりのアルコールが入っていたみたいで。
普段はビール一杯で酔ってしまうからお茶に切り替えるのに、この時は何倍も飲んでしまっていた。
「先輩、子供達と遊ぶの上手でしたね」
いつの間にか、草壁くんが隣に座っていたのも、不思議に思えなかった。
「上手って言うか、好きなの。昔、ボランティアでね、病院の小児病棟の子供達とよく遊んでたんだ」
「……へぇ」
草壁くんの声が、肩から伝わってくる。ぬくもりも。
冬の寒さと、急な環境の変化。知らず疲れていたのだと思う。
お風呂に入って温まって、お腹がいっぱいになって、お酒も飲んで、私は何だか、夢の中にいるみたいな気持ちになっていた。
「……パパがね、入院していた病院なの」
――彩未のランドセル姿が見られるまで、パパがんばるからね。
パパのガンがわかったのは、私が三歳の頃だった。妹はまだ赤ちゃんで、パパは三十四歳だった。ママはその時二十九歳。
「ガンだってわかって、その時に余命はもう一年もないって言われたんだって。でもね、パパはその後、六年も生きたんだ……」
私が思い出すパパは、いつも笑顔だった。優しくて頼もしい、大きくて強いパパ。
治療は過酷で、写真を見ると、パパはげっそり頬がこけていたり、顔色が悪い。骨が浮くくらい痩せて、頭も寂しい。でも優しい笑顔だけは、記憶と寸分違わない。
ガンの治療は、家族にも大きな負担を強いる。小さな私と妹を抱えて、ママは途方に暮れた。治療には莫大なお金もかかる。入退院を繰り返しながら、あと少し、もう少しだけ。少しでも長く生きていたいって、私達と一緒にいるために、パパとママは頑張った。
「いろんな人が助けてくれたんだって。治療費のカンパとか……。お見舞いもたくさん……パパがね、病院で亡くなる時も、来てくれた。パパは最後まで諦めなかった……。ねえ、すごいでしょ? 余命一年って、言われたのに、パパは六年も生きたの! 私の七五三の着物だって、パパが選んでくれたんだから。自転車だって、パパが乗り方教えてくれたんだから」
病院の先生にも、看護師さんにもお世話になった。みんなよくしてくれた。だから、私もできることがしたいと思った。
それで看護師さんの進めもあって、「小児病棟のお姉さん先生」を始めたんだ。
大人には言えないことも聞いてくれる。パパやママができないこともしてくれる、お姉さん。
入院中のストレスは計り知れない。子供はうまくそれを表現できない。一緒に遊んで、楽しい時間を過ごすのが一番なんだって、できることをできるだけでいい。彩未ちゃんがいてくれるだけで、子供達は喜ぶんだって、小児科のお医者さんは言ってくれた。
みんな私を慕ってくれた。……ひとりだけ、傷つけたけど。
「ごめんね、ナオ……」
草壁くんの身体がぴくりと揺れる。
「でもね……私もパパに負けないくらい、頑張るから……」
だって、いつも空から、パパが見てる。
ぽと、と温かいものが私の手の甲に落ちた。
顔を見上げると、草壁くんの頬を涙が伝っている。
「草壁くん、泣いてるの? ふふ、子供みたい」
「……泣いてませんよ……」
彼の頬を涙が滑り落ちて、また私の頬に落ちる。
かっこよかったり、上司っぽかったりしても、草壁くんは私よりも年下の部下なんだ、って思った。
「おバカさん、泣いてもいいんだよ」
私は彼の頭を引き寄せる。身体の大きい彼は身体を屈めて、私のお腹のあたりに頭を下げる。膝枕みたいだな。膝枕でいいか。
さらさらの髪の毛を撫でる。気持ちいい。髪の間から見える耳が真っ赤だ。
「いい子、いい子……」
完全な酔っ払いの私は、ひとしきり髪の毛を撫でて……その後はよく覚えていない。
ゆらゆら気持ちよく揺らされて、運ばれる。その途中で草壁くんが、
「これからはずっと、僕があなたの側にいますから」
と言ったのが聞こえた気がした。
着いていくと、この家はなかなか面白い間取りをしている。一階はリビングダイニングがひとつながりになっている。
玄関から入ってすぐ左手はお手洗い、吹き抜けになっている階段を上がっていくと、中二階にバスルームとランドリー。二階は居室が三つあった。
「あとは、一階に書斎ですね。どこも自由に使ってくれて構いませんが、僕は書斎を使わせて貰っています」
「建て売り分譲にしては、随分凝った間取りだけど……」
「向こうにあった家をばらして、こっちに持ってきて立て直した家なんです。こちらの間取りは少し僕には窮屈で」
うんうんと頷いてから、はたと気づく。
それって、草壁くんが気に入った家を、日本に持ってきて立て直させたってこと?
「……草壁くんって、いつからAT室に配属になったの?」
階段の踊り場で足を止めて聞いてみる。先に降りていた草壁くんは私を振り返った。
「……僕について知りたいと思ってくれるんですか?」
ハンサムな顔に、くすぐったそうな微笑みが浮かぶ。
私は慌てて手を振った。
「ち、違う! いや、あの違わないんだけど、あの」
「今夜は、先輩を歓迎するためにディナーと行きたかったのですが、あいにくこの辺にはろくな店がありません」
確かに、田舎だものね。スーパーだって駅から来るまでに一軒二軒……。
「なので、僕が準備します。少し時間を貰ってもいいですか? すぐ用意しますから。その間に、先輩はバスを使って下さい」
「草壁くん、料理できるの?」
「まあ、たしなむ程度に」
テーブルの上には所狭しとごちそうが並べられていた。
丸ごとタマネギとベーコンのスープ。パスタは二種類と、ガーリックバターでトーストしたパン。具だくさんのグラタンとミートローフ、デザートのチーズケーキ。
それから驚いたことに、草壁くんは自分でシェイカーを振って、飲み物を作ってくれた。私は調子に乗って勧められるまま杯を重ねていた。
「たしなむ程度、なんて嘘ばっかり」
「作り置きできるものばかりですし、簡単なものしか作れません」
腕まくりをしてエプロンをした草壁くんは、器用に皿に料理を取り分けると私の前に置いてくれる。
「……草壁くん、私のお世話ばっかりして、自分は食べてる?」
「食べてます、と言いたいところですが、本当は先輩が目の前にいるのが嬉しすぎて、喉を通らないところです」
「またそういう冗談を言う……」
草壁くんが作る飲み物はとてもきれいな色で、甘くておいしい。
グラスを弾くと、チンと澄んだ音がした。
この時点で私はしたたか酔っていた――のだと思う。
彼が作ってくれたお酒は、飲みやすかったけれどそれなりのアルコールが入っていたみたいで。
普段はビール一杯で酔ってしまうからお茶に切り替えるのに、この時は何倍も飲んでしまっていた。
「先輩、子供達と遊ぶの上手でしたね」
いつの間にか、草壁くんが隣に座っていたのも、不思議に思えなかった。
「上手って言うか、好きなの。昔、ボランティアでね、病院の小児病棟の子供達とよく遊んでたんだ」
「……へぇ」
草壁くんの声が、肩から伝わってくる。ぬくもりも。
冬の寒さと、急な環境の変化。知らず疲れていたのだと思う。
お風呂に入って温まって、お腹がいっぱいになって、お酒も飲んで、私は何だか、夢の中にいるみたいな気持ちになっていた。
「……パパがね、入院していた病院なの」
――彩未のランドセル姿が見られるまで、パパがんばるからね。
パパのガンがわかったのは、私が三歳の頃だった。妹はまだ赤ちゃんで、パパは三十四歳だった。ママはその時二十九歳。
「ガンだってわかって、その時に余命はもう一年もないって言われたんだって。でもね、パパはその後、六年も生きたんだ……」
私が思い出すパパは、いつも笑顔だった。優しくて頼もしい、大きくて強いパパ。
治療は過酷で、写真を見ると、パパはげっそり頬がこけていたり、顔色が悪い。骨が浮くくらい痩せて、頭も寂しい。でも優しい笑顔だけは、記憶と寸分違わない。
ガンの治療は、家族にも大きな負担を強いる。小さな私と妹を抱えて、ママは途方に暮れた。治療には莫大なお金もかかる。入退院を繰り返しながら、あと少し、もう少しだけ。少しでも長く生きていたいって、私達と一緒にいるために、パパとママは頑張った。
「いろんな人が助けてくれたんだって。治療費のカンパとか……。お見舞いもたくさん……パパがね、病院で亡くなる時も、来てくれた。パパは最後まで諦めなかった……。ねえ、すごいでしょ? 余命一年って、言われたのに、パパは六年も生きたの! 私の七五三の着物だって、パパが選んでくれたんだから。自転車だって、パパが乗り方教えてくれたんだから」
病院の先生にも、看護師さんにもお世話になった。みんなよくしてくれた。だから、私もできることがしたいと思った。
それで看護師さんの進めもあって、「小児病棟のお姉さん先生」を始めたんだ。
大人には言えないことも聞いてくれる。パパやママができないこともしてくれる、お姉さん。
入院中のストレスは計り知れない。子供はうまくそれを表現できない。一緒に遊んで、楽しい時間を過ごすのが一番なんだって、できることをできるだけでいい。彩未ちゃんがいてくれるだけで、子供達は喜ぶんだって、小児科のお医者さんは言ってくれた。
みんな私を慕ってくれた。……ひとりだけ、傷つけたけど。
「ごめんね、ナオ……」
草壁くんの身体がぴくりと揺れる。
「でもね……私もパパに負けないくらい、頑張るから……」
だって、いつも空から、パパが見てる。
ぽと、と温かいものが私の手の甲に落ちた。
顔を見上げると、草壁くんの頬を涙が伝っている。
「草壁くん、泣いてるの? ふふ、子供みたい」
「……泣いてませんよ……」
彼の頬を涙が滑り落ちて、また私の頬に落ちる。
かっこよかったり、上司っぽかったりしても、草壁くんは私よりも年下の部下なんだ、って思った。
「おバカさん、泣いてもいいんだよ」
私は彼の頭を引き寄せる。身体の大きい彼は身体を屈めて、私のお腹のあたりに頭を下げる。膝枕みたいだな。膝枕でいいか。
さらさらの髪の毛を撫でる。気持ちいい。髪の間から見える耳が真っ赤だ。
「いい子、いい子……」
完全な酔っ払いの私は、ひとしきり髪の毛を撫でて……その後はよく覚えていない。
ゆらゆら気持ちよく揺らされて、運ばれる。その途中で草壁くんが、
「これからはずっと、僕があなたの側にいますから」
と言ったのが聞こえた気がした。