甘え上手でイジワルで
サンタのくれるもの
私と草壁くんの共同生活は、あっという間に一週間が過ぎた。
男の人との共同生活なんて、緊張の連続なんじゃないかと思っていたけど、基本、草壁くんは家で私に干渉してくることはない。
仕事の間は、あのたちの悪い冗談をちょこちょこ飛ばしてきたりするけれども、家ではお互いの距離感を大事にしてくれてるんだろうな。
草壁くんが自室にしている一階の書斎に籠もっている時は、私も必要がない限り声を掛けない。
もともと、私の生活自体が、仕事以外に比重がない生活だからかも。
ここに来るまでは実家で生活していた。妹とママとの三人暮らし。
私は二人の負担を少しでも減らしたくて、積極的に家事をやっていた。
仕事と家事と、あとは資格の勉強。たまにカフェに勉強道具を持ち込んで勉強するのが息抜き……。
我ながら、地味な生活。
赴任して初めての休日、私は遅く起きてカフェオレを飲みながらパンをかじっていた。
手元にはタブレットがある。日頃から新聞は数紙チェックしているんだけど、こういうときは電子版が便利。
新聞には情報が溢れている。ネットニュースも含めると玉石混淆、膨大な量の情報が与えられる。まさに情報社会だ。
情報社会で生きていくのに必要なのは、情報の取捨選択、重要度の決定……当たり前のようで、大変な作業だ。
私は、ワーキングママと呼ばれる人たちを取り巻く情報の多さに辟易していた。キーワードについて調べると、次のキーワードが出てくる。子育てをする人々というのは、これらの情報とどうやって付き合っているのだろう。何を優先して、生活をし、仕事をし、子育てをしているのだろう。
秘書の仕事は、働きやすい環境を作ること。
それは個人の業務の管理であることもあるし、職場全体を俯瞰してのことでもある。どの秘書がどの仕事をするかというのも大事。
それぞれ得意な分野がある。私が得意なのはスケジュール管理。
できるだけ効率よくスケジュールを組むのは当たり前で、息抜きも上手に入れなきゃいけない。
赤ちゃんと一緒に働く岩田研究員のスケジュールは、どうしても赤ちゃんが最優先になる。川口研究員は、保育所など関わる機関との連携に加えて、いかに効率よく家事を回すか。
仕事を家に持ち帰ってやるのは、旧来は当たり前。昨今は仕事とプライベートの区別をつけることが推奨されている。
でも、その境目をきっちりさせることで、息苦しくなってくる部分もあるように思う。
「難しい顔をして、どうしたんですか?」
掠れた声が振ってきて、タブレットをスクロールしていた指が滑る。
もの凄い勢いで流れていった画面を、草壁くんが覗き込む。
「せっかくの休みなのに、また仕事ですか」
草壁くんは眠そうに髪の毛をかき上げる。
私は気まずくて、タブレットを閉じた。
「……おはよ。随分眠そうだけど、夜更かししたの?」
私は席を立って、草壁くんの分のコーヒーを淹れる。彼は受け取って、ダイニングの椅子に座った。
私も戻ると、草壁くんはコーヒーで唇を湿らせると、もの言いたげにこちらをじーっと見てくる。
「な、なによ……」
そんなに見つめられると落ち着かない。スウェット姿の草壁くんの顎にはうっすらと髭があって、それが不潔とは思わないんだけど、こうもあっさりとオフを見せられると、どういう態度で接すればいいのかわからなくなってしまう。
あ、でも私も部屋着にすっぴん……。
「あんまり無防備な姿でいられるのも悩ましいな、と思いました」
意味がわからない。
私がきょとんとしていると、草壁くんはふいっと目を逸らしてぶつぶつ言い始める。
「これが場慣れしてるとか、誘惑してるとかじゃなくって、単純に僕が男として意識されてないって……はぁ」
な、何言ってるの!?
「く、草壁くん、あのねぇ」
「コーヒー、こぼれますよ」
立ち上がりかけた私は、冷静に注意されて椅子に座り直す。
居心地のいいダイニングでぼーっとしてたのに、急に緊張させられる。
「先輩、今日のご予定は?」
「……特にないけど」
「……もうすぐ、クリスマスですね」
「ん? あぁ、そうね」
「先輩は、クリスマスは誰と……」
草壁くんはやけに身を乗り出してくる。
「誰って……。別に休みでもないのに。仕事に行くだけだけど」
パパが亡くなったのがクリスマスのちょっと前だから、実家でもあまり盛大に祝うっていう雰囲気じゃないんだよね。
ケーキを食べて……。
「パパが死んだ年は……本当のサンタさんが来てくれたんだ」
ぽつっと言ってしまって、私は自分の口を手で押さえた。
「あっ、今のなし。なしだから!」
いい年した大人なのに、子供の頃のことをいつまでもなんて情けない。
亡くなる直前にパパが準備してくれていたプレゼントを、パパの友達がサンタさんの振りをして届けに来てくれたんだよね。
パパは亡くなっても、ずっと私達を愛し続けてくれる。どこかで私達を見守ってくれるんだって、その時強く感じた。
葬儀で慌ただしく、喪失の実感も持てなかった私と妹は、サンタさんにパパの愛をプレゼントの箱と一緒にくれたんだ。
「予定がないなら、今日は僕につきあってくれませんか?」
「いいけど……何するの?」
「クリスマスのプレゼントを買いに行きたいんです」
「えっ……」
草壁くんがクリスマスプレゼントを買う相手について、私はしばらく考えてしまう。
そういえば、草壁くんの家族のこととか……彼女のこととか、私は全然知らないんだ。
でも、私に買い物につきあって欲しいってことは、多分彼女にあげるプレゼントなんだよね。
「……変なこと考えてませんか?」
「いやっ、あの、彼女にあげるプレゼン……」
「先輩」
テーブルごしに手を取られる。
「……彼女なんていません。僕は、先輩だけ」
「わーっ! 待って、それ以上言ったら、いっしょに行かないから!」
「む」
草壁くんは口をへの字にしたけど、私は心臓が止まりそうだよ!
一時間ほどのドライブのあと、ショッピングモールに着いた。
朝食が遅かった私達は、昼食時の過ぎた飲食店にまず入った。
私がケーキを頼むと、草壁くんもケーキを頼む。
「甘い物が好きなの?」
「先輩は、どこもかしこも甘そうですね」
「え? やっぱり? いっつも妹にはお姉ちゃん甘いって言われて……」
小腹を満たしてから、立ち並ぶ店を覗いて回る。
「誰へのプレゼント?」
「二人の叔父と、一人の素敵な女性へのプレゼントです」
やっぱり女の人じゃない!
って言ってやろうかと思ったけど、やきもちを焼いているみたいだからやめた。
でもきっと顔には出ていて、草壁くんはくすっと笑う。
ショッピングモールの石畳の通路は、日差しで温まっている。
庇の下に入るとやっぱり寒い。
「草壁くん、これなんかどうかな」
「いいですね」
「ちょ、ちょっと待って! そんなにすぐに決めないで!」
「先輩がいいと言ったなら僕に異論はありませんが」
「もーっ! そんなの相手に失礼でしょ! 貰う人のことを思って、丁寧に選ぶの」
秘書はお世話になっている人への手土産を選ぶ。相手の方のお持たせのリストを作って研究したり。
「相手の好きなものや興味を知らないと、気に入って貰うプレゼントって選べないでしょ? 逆に、相手に気に入って貰えるプレゼントを渡せるってことはそれだけこちらが相手を大事に思っているって証明になるんだから」
「……はい……」
草壁くんはしゅんとしょげてしまう。
モデルみたいに格好いい草壁くんを、店の中にいる客達がちらちら見ているっていうのに。彼女達は一様に私に胡乱な視線を向けてくる。
「もう、そんなしゅんとしてないで! せっかく来たんだから楽しくお買い物しよう!」
それから私達はいくつものプレゼントを選んだ。
草壁くんはプレゼントを一つにする気はなかったようで、私の言質を取って「気に入りそうな」ものを幾つも贈り物にした。
私も母と妹の分を買う。少しだけ気になったアクセサリーがあったけど、高かったので諦める。もとから、殆どアクセサリーは身につけないし。
それからこっそり、男物のハンカチを一つ。
すっかり夜になって、夕食もモール内のレストランで取った。
帰り際の車に乗ったところで、私は買ったハンカチを草壁くんに差し出した。
「これは……?」
「連れ出してくれたおかげで、妹たちにプレゼント買えたから、お礼。クリスマスは草壁くん予定あるだろうから、早めだけど……」
「ありません! 予定なんてありませんから、良かったら、一緒にケーキ食べて下さい」
草壁くんはハンカチの入った箱を大事そうに持っていた。
「あの……それ、大したもんじゃないから。私、草壁くんの好きなものとか知らないし……」
「先輩がくれるものなら、何でも大好きです」
「も、もぉーっ! だから、そういうこと軽々しく」
「こんなこと軽々しく言いません。先輩だけ」
車は混雑の列を作っている。出庫するには時間がかかる。車内の暗闇を、草壁くんの甘くて低い声が揺らす。
「だから早く、僕のことを好きになって下さい」
私は答えられず、膝の上で手を握りしめた。
男の人との共同生活なんて、緊張の連続なんじゃないかと思っていたけど、基本、草壁くんは家で私に干渉してくることはない。
仕事の間は、あのたちの悪い冗談をちょこちょこ飛ばしてきたりするけれども、家ではお互いの距離感を大事にしてくれてるんだろうな。
草壁くんが自室にしている一階の書斎に籠もっている時は、私も必要がない限り声を掛けない。
もともと、私の生活自体が、仕事以外に比重がない生活だからかも。
ここに来るまでは実家で生活していた。妹とママとの三人暮らし。
私は二人の負担を少しでも減らしたくて、積極的に家事をやっていた。
仕事と家事と、あとは資格の勉強。たまにカフェに勉強道具を持ち込んで勉強するのが息抜き……。
我ながら、地味な生活。
赴任して初めての休日、私は遅く起きてカフェオレを飲みながらパンをかじっていた。
手元にはタブレットがある。日頃から新聞は数紙チェックしているんだけど、こういうときは電子版が便利。
新聞には情報が溢れている。ネットニュースも含めると玉石混淆、膨大な量の情報が与えられる。まさに情報社会だ。
情報社会で生きていくのに必要なのは、情報の取捨選択、重要度の決定……当たり前のようで、大変な作業だ。
私は、ワーキングママと呼ばれる人たちを取り巻く情報の多さに辟易していた。キーワードについて調べると、次のキーワードが出てくる。子育てをする人々というのは、これらの情報とどうやって付き合っているのだろう。何を優先して、生活をし、仕事をし、子育てをしているのだろう。
秘書の仕事は、働きやすい環境を作ること。
それは個人の業務の管理であることもあるし、職場全体を俯瞰してのことでもある。どの秘書がどの仕事をするかというのも大事。
それぞれ得意な分野がある。私が得意なのはスケジュール管理。
できるだけ効率よくスケジュールを組むのは当たり前で、息抜きも上手に入れなきゃいけない。
赤ちゃんと一緒に働く岩田研究員のスケジュールは、どうしても赤ちゃんが最優先になる。川口研究員は、保育所など関わる機関との連携に加えて、いかに効率よく家事を回すか。
仕事を家に持ち帰ってやるのは、旧来は当たり前。昨今は仕事とプライベートの区別をつけることが推奨されている。
でも、その境目をきっちりさせることで、息苦しくなってくる部分もあるように思う。
「難しい顔をして、どうしたんですか?」
掠れた声が振ってきて、タブレットをスクロールしていた指が滑る。
もの凄い勢いで流れていった画面を、草壁くんが覗き込む。
「せっかくの休みなのに、また仕事ですか」
草壁くんは眠そうに髪の毛をかき上げる。
私は気まずくて、タブレットを閉じた。
「……おはよ。随分眠そうだけど、夜更かししたの?」
私は席を立って、草壁くんの分のコーヒーを淹れる。彼は受け取って、ダイニングの椅子に座った。
私も戻ると、草壁くんはコーヒーで唇を湿らせると、もの言いたげにこちらをじーっと見てくる。
「な、なによ……」
そんなに見つめられると落ち着かない。スウェット姿の草壁くんの顎にはうっすらと髭があって、それが不潔とは思わないんだけど、こうもあっさりとオフを見せられると、どういう態度で接すればいいのかわからなくなってしまう。
あ、でも私も部屋着にすっぴん……。
「あんまり無防備な姿でいられるのも悩ましいな、と思いました」
意味がわからない。
私がきょとんとしていると、草壁くんはふいっと目を逸らしてぶつぶつ言い始める。
「これが場慣れしてるとか、誘惑してるとかじゃなくって、単純に僕が男として意識されてないって……はぁ」
な、何言ってるの!?
「く、草壁くん、あのねぇ」
「コーヒー、こぼれますよ」
立ち上がりかけた私は、冷静に注意されて椅子に座り直す。
居心地のいいダイニングでぼーっとしてたのに、急に緊張させられる。
「先輩、今日のご予定は?」
「……特にないけど」
「……もうすぐ、クリスマスですね」
「ん? あぁ、そうね」
「先輩は、クリスマスは誰と……」
草壁くんはやけに身を乗り出してくる。
「誰って……。別に休みでもないのに。仕事に行くだけだけど」
パパが亡くなったのがクリスマスのちょっと前だから、実家でもあまり盛大に祝うっていう雰囲気じゃないんだよね。
ケーキを食べて……。
「パパが死んだ年は……本当のサンタさんが来てくれたんだ」
ぽつっと言ってしまって、私は自分の口を手で押さえた。
「あっ、今のなし。なしだから!」
いい年した大人なのに、子供の頃のことをいつまでもなんて情けない。
亡くなる直前にパパが準備してくれていたプレゼントを、パパの友達がサンタさんの振りをして届けに来てくれたんだよね。
パパは亡くなっても、ずっと私達を愛し続けてくれる。どこかで私達を見守ってくれるんだって、その時強く感じた。
葬儀で慌ただしく、喪失の実感も持てなかった私と妹は、サンタさんにパパの愛をプレゼントの箱と一緒にくれたんだ。
「予定がないなら、今日は僕につきあってくれませんか?」
「いいけど……何するの?」
「クリスマスのプレゼントを買いに行きたいんです」
「えっ……」
草壁くんがクリスマスプレゼントを買う相手について、私はしばらく考えてしまう。
そういえば、草壁くんの家族のこととか……彼女のこととか、私は全然知らないんだ。
でも、私に買い物につきあって欲しいってことは、多分彼女にあげるプレゼントなんだよね。
「……変なこと考えてませんか?」
「いやっ、あの、彼女にあげるプレゼン……」
「先輩」
テーブルごしに手を取られる。
「……彼女なんていません。僕は、先輩だけ」
「わーっ! 待って、それ以上言ったら、いっしょに行かないから!」
「む」
草壁くんは口をへの字にしたけど、私は心臓が止まりそうだよ!
一時間ほどのドライブのあと、ショッピングモールに着いた。
朝食が遅かった私達は、昼食時の過ぎた飲食店にまず入った。
私がケーキを頼むと、草壁くんもケーキを頼む。
「甘い物が好きなの?」
「先輩は、どこもかしこも甘そうですね」
「え? やっぱり? いっつも妹にはお姉ちゃん甘いって言われて……」
小腹を満たしてから、立ち並ぶ店を覗いて回る。
「誰へのプレゼント?」
「二人の叔父と、一人の素敵な女性へのプレゼントです」
やっぱり女の人じゃない!
って言ってやろうかと思ったけど、やきもちを焼いているみたいだからやめた。
でもきっと顔には出ていて、草壁くんはくすっと笑う。
ショッピングモールの石畳の通路は、日差しで温まっている。
庇の下に入るとやっぱり寒い。
「草壁くん、これなんかどうかな」
「いいですね」
「ちょ、ちょっと待って! そんなにすぐに決めないで!」
「先輩がいいと言ったなら僕に異論はありませんが」
「もーっ! そんなの相手に失礼でしょ! 貰う人のことを思って、丁寧に選ぶの」
秘書はお世話になっている人への手土産を選ぶ。相手の方のお持たせのリストを作って研究したり。
「相手の好きなものや興味を知らないと、気に入って貰うプレゼントって選べないでしょ? 逆に、相手に気に入って貰えるプレゼントを渡せるってことはそれだけこちらが相手を大事に思っているって証明になるんだから」
「……はい……」
草壁くんはしゅんとしょげてしまう。
モデルみたいに格好いい草壁くんを、店の中にいる客達がちらちら見ているっていうのに。彼女達は一様に私に胡乱な視線を向けてくる。
「もう、そんなしゅんとしてないで! せっかく来たんだから楽しくお買い物しよう!」
それから私達はいくつものプレゼントを選んだ。
草壁くんはプレゼントを一つにする気はなかったようで、私の言質を取って「気に入りそうな」ものを幾つも贈り物にした。
私も母と妹の分を買う。少しだけ気になったアクセサリーがあったけど、高かったので諦める。もとから、殆どアクセサリーは身につけないし。
それからこっそり、男物のハンカチを一つ。
すっかり夜になって、夕食もモール内のレストランで取った。
帰り際の車に乗ったところで、私は買ったハンカチを草壁くんに差し出した。
「これは……?」
「連れ出してくれたおかげで、妹たちにプレゼント買えたから、お礼。クリスマスは草壁くん予定あるだろうから、早めだけど……」
「ありません! 予定なんてありませんから、良かったら、一緒にケーキ食べて下さい」
草壁くんはハンカチの入った箱を大事そうに持っていた。
「あの……それ、大したもんじゃないから。私、草壁くんの好きなものとか知らないし……」
「先輩がくれるものなら、何でも大好きです」
「も、もぉーっ! だから、そういうこと軽々しく」
「こんなこと軽々しく言いません。先輩だけ」
車は混雑の列を作っている。出庫するには時間がかかる。車内の暗闇を、草壁くんの甘くて低い声が揺らす。
「だから早く、僕のことを好きになって下さい」
私は答えられず、膝の上で手を握りしめた。