その手が離せなくて
コツコツと不安定なヒールの音が真っ暗な路地に響く。
小さく誰にも聞こえない程度に鼻歌を歌う。
誰ともすれ違う事はないから、そんなに声を潜めなくてもいいんだけどね。
ご機嫌なまま目をふっと閉じれば、彼がいた。
緑の中で笑う、一ノ瀬さん。
私の名前を呼んで、手を引く一ノ瀬さん。
あの楽しかった日々が何度も何度も私の中で繰り返されている。
まるで映画の様に、同じ様な画面を何度も再生してはニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮べた。
「ふふっ、病気だな、私」
まるで初めてする恋みたい。
恋焦がれていると分かるのは容易で、溺れていると分かるのは明らかだ。
ふっと立ち止まっていた足を前に動かす。
それでも、不意に後ろに人の気配を感じておもむろに振り返った。
その時――。