その手が離せなくて
視線の先に突然現れた、傘。

そっと私に差しかけられて、世界の色を変える。

驚いて隣を向くと、私を見下ろす瞳があった。


「傘、持ってないんだろ?」

「え、あ、はい」

「どこまで?」

「え?」

「家はどこ?」

「あ、実はこの近くで」

「駅の方?」

「はい」

「じゃぁ、送ってく」


あまりにも自然にそう言われて、目が点になる。

そんな私を置いて彼はスタスタとフロントへ向かい、受付嬢から傘を借りてきて、こちらに戻ってきた。


「はい。これ使って」

「あのっ」

「そんな沢山の資料抱えて帰るつもり?」

「――」

「貸して。俺もそっちに向かうつもりだったから」


受け取った傘の代わりに、有無を言わさず持っていた資料を奪われた。

そして、バサと傘を広げて振り返り際に。


「行くぞ」


ふっと一ノ瀬さんは、微かに笑った。

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