その手が離せなくて
「ありがとうございます」
人込みを抜けて見慣れた路地に入った途端、ようやく言葉が届いた。
少し前を歩いていた彼は、微かに振り返って首を傾げる。
「何が?」
「傘を貸してくれた事と、荷物を持ってくれた事です。あと、コーヒーも」
「あぁ」
少しだけ小走りで一ノ瀬さんの隣に並んで、頭を下げる。
それでも、そんな事か。と言わんばかりの顔で彼は笑った。
「この辺りに住んでるんだ?」
「はい。なかなか静かでいい所ですよ」
「確かに。あ~俺もこの辺りに住めばよかったな」
そう言って、ぼやく彼をクスクスと笑う。
暗闇に中でも、その印象的なビー玉の様な瞳が私を見て優しく細められた。