その手が離せなくて
「風邪引かないように」


革靴を履き終えて、振り返った彼がそう言う。

それでも、なんだか煮え切らない気持ちがグルグルと頭の中を巡っていて、コクンと小さく頷くだけしかできなかった。


まるで、さっきの会話なんてなかったみたいな姿に悔しくなる。

勇気を出して、振り絞って言った言葉なのに。

それに、まだ――・・・・・・。


「一ノ瀬さん」

「ん?」

「また、会えますか?」

「――」

「会えますか?」


もう一度言葉を繰り返して、そう言う。

だって私達、まだ連絡先も交換していない。

次会える保証も何もない。

また、振り出しに戻ってしまう。


微かに震える唇を噛んでそう言った私を、一ノ瀬さんはじっと見つめ返してくる。

何も言わずに、ただじっと。

そして。
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