強引ドクターの蜜恋処方箋
母がオーストラリアに発った後しばらくして、雄馬が退職する日がやってきた。

私の気持ちを雄馬に伝える日。

朝から緊張して、食事も喉に通らない。

マリの言葉、そして母からもらった勇気を心の中で必死に握り締めていた。

ふっと力を緩めるとすぐにでも不安が自分を覆い尽くしてしまう。

松井さんの顔を見て、自分の気持ちに素直になろう。


松井さんとは駅前のホテルの前で待ち合わせていた。

20時半。

少し遅れて雄馬は自分の車に乗ってやってきた。

これだけの逸材雄馬が辞めるとあって、朝からひっきりなしに社内社外問わず多くの人達が挨拶に来ていた。

本当に辞めちゃうんだ。

ふと松井さんの席が抜け殻になっている状態を想像して寂しくなった。

「待たせてごめん。乗って」

松井さんは運転席に座ったまま助手席の扉を開けた。

緊張してもつれそうになる足を必死に動かして車に乗り込む。

「たくさん来られてたけど、挨拶は無事済まれたんですか?」

「ああ」

雄馬は前を向いたまま答えた。

いつもよりも口数が少ないような気がする。

普段にはあまり見られない松井さんの固い表情から緊張が感じられた。

「あのさ」

「はい」

「これから俺んちで話さない?」

「はい?!」

松井さんの家?

「その方が2人でゆっくり話せるかと思って。もちろんチナツが嫌なら辞めるけど」

嫌とかそういう問題ではなくて。

でも、全く嫌なじゃない。

「・・・構いません」

小さな声で答えた。

松井さんはそんな私をちらっと見て、口元を緩める。

「よかった。じゃ、俺の家に向かうよ」

心なしか車のスピードが上がった。






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