準備は万端【短編】
「部屋にひとり、ビューネくんがほしい」

ふと、先日の飲み会で会社の同僚の独身女たちがこぞって言っていたことを思い出した。

「部屋に帰って、松田翔太みたいな男の子が化粧水を顔にかけてくれたら、あたしそれだけで昇天できる」

「昇天ってやだ、オヤジみたいなこと言わないでよ」

「でも昇天でしょ。松田翔太だよ? 昇天するでしょ?」

「するけど、そりゃするけどさ」

そんなことを言って盛りあがる女たちの声を聞きながら、あたしはひとりでふふ、と笑っていた。

松田翔太、とまではいかないけれど、圭はビューネくんみたいなものだなあ、なんてちょ
っと誇らしく思っていたりしたのだ。

愚かなことに。

やさしいだけの、実体をつかめない不確かな存在の男なんて、現実にはいらない。

ビューネくんは、現実には存在しないからいいのだ。

電気もくわない、風呂に入らずに悪臭をまきちらしたりもしない。

実体をともなったビューネくんなど、邪魔くさいだけだ。

なんにもおかしくないのに、あたしはひとり、声を殺して笑った。

あまりにばかばかしくて、情けなくて泣けてきて、笑えた。


部屋に戻ると、そこに圭の姿はなかった。

ゲーム機も、ドラクエも、攻略本も、煙草も、消えていた。

夢だったんじゃないか、とあたしは一瞬疑った。

ほんとにビューネくんみたいなものだったんじゃないか。

一人暮らしのさみしさを紛らわすためにあたしが生み出した妄想だったんじゃないか。

そう思うと、信じられないぐらいやさしい圭の抱擁も、キスも、頬にかかる寝息も、肩を撫でるなめらかな指先も、すべてがまぼろしのように感じられた。


ただ、灰皿に山積みになった煙草の吸殻が、圭の実在を静かに証明していた。



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