一途な小説家の初恋独占契約



直帰しても良いと言われていたけれど、会社は南北書店から歩いて10分ほどだし、爆発的だというジョーのサイン本の売れ行きも気になったので、会社に帰ることにした。

「ジョーは、先に帰る? あ、でも荷物はうちにあるから、どうしよう。今日のホテルはどこ?」

南北書店のビルを出てすぐのところで何気なく尋ねた私は、すぐさまジョーに肩を掴まれることになった。

「ホテルって、どういうこと? 今日はもう、僕を泊めてくれないの?」
「え? 昨日だけじゃなかったの?」
「ひどいな、汐璃。僕を追い出す気? 僕がいたら迷惑?」
「……」

迷惑なんかじゃない。
ジョーは、優しくてカッコよくて、紳士的。
過剰に甘えてくることもあるけれど、窘めたらスッと離れてくれるから、安心できる。

だからこそ、このまま一緒にいたら、私は……。

「汐璃がどうしても嫌だというまで、僕は一緒にいたい」

強く掴んでしまってごめんね、とジョーの手が離れる。

私はそこをそっと撫でた。

「痛くなかった?」
「……大丈夫」
「良かった」

ちっとも痛くなんてなかった。
昔よりずっと力も強いはずなのに、ジョーは、いつでも私を気遣ってくれる。

それに私、ジョーの温もりが離れて寂しいと感じてる……。

「それに、汐璃が恋を教えてって言ったでしょ」
「そんなこと……私にできないもの……」

人に教えられるような恋愛経験なんてない。

私の恋は、どれも淡くて、自然と消えてしまったような儚いものばかりだ。
付き合った人はいたけど、長く続いた人はいない。

「じゃあ、やっぱり僕が教えてあげなきゃね」

悪戯っぽく微笑んだジョーとは裏腹に、私はうまく表情が作れていなかったのかもしれない。

ジョーの微笑みが困ったように崩れて、そっと私の腰に手を添えた。

「とりあえず、清谷書房に戻ろう」
「そうだね」

並んで歩き始める。

梅雨明けには早いはずなのに、日中は晴れが続いている。
神保町の歩道も、乾いていた。

「汐璃は、いつもこの道を歩いてるんだね」
「そうだよ。南北書店さんには、よく行くから」

ジョーが、物珍しそうに辺りを見渡す。
1階には、飲食店の入った小さなビルが立ち並ぶ、見慣れた風景だ。
< 64 / 158 >

この作品をシェア

pagetop