幸せを探して
今年の私の誕生日。
家族皆、きちんと祝える雰囲気ではなった。
私の隣には美花が居て、2人揃っての誕生日だったから。
家でお母さんが作ったケーキの味は、涙の味がした。
家族全員、食欲が無かった。
1番ケーキを食べていた人は、“姉の死”をきちんと理解していない流美だけだった。
皆泣かなかったけれど、夜、私は寝室へ行った途端号泣した。
家の中は、どこもかしこも美花の定置で埋もれている。
ソファの右端。
テーブルの真ん中の椅子。
私と同じ部屋の、ダブルベッドの右側。
勉強机の左側。
両親と流美は、どんどん美花が居た頃の笑顔を取り戻してきている。
それなのに私だけ、何も取り戻せない。
私が何とか学校へ通い始められたのは、1ヵ月以上経った、1月25日の事だった。
事故で負った大怪我の療養や、精神状態を安定させたりしていた私。
それに、時間を思った以上に長くとっていた。
学校へ行っても、雪を見てパニック状態に陥る事は日常茶飯事。
貧血のように倒れたりしてしまって、皆の注目を浴びるのは当たり前のことだった。
前より人とコミュニケーションをとらなくなり、会話も少なくなった。
そんな私にとって、私と美花の事故の詳細を知っている人が、先生方と愛来程しかいなかったのが救いだった。
家族皆、きちんと祝える雰囲気ではなった。
私の隣には美花が居て、2人揃っての誕生日だったから。
家でお母さんが作ったケーキの味は、涙の味がした。
家族全員、食欲が無かった。
1番ケーキを食べていた人は、“姉の死”をきちんと理解していない流美だけだった。
皆泣かなかったけれど、夜、私は寝室へ行った途端号泣した。
家の中は、どこもかしこも美花の定置で埋もれている。
ソファの右端。
テーブルの真ん中の椅子。
私と同じ部屋の、ダブルベッドの右側。
勉強机の左側。
両親と流美は、どんどん美花が居た頃の笑顔を取り戻してきている。
それなのに私だけ、何も取り戻せない。
私が何とか学校へ通い始められたのは、1ヵ月以上経った、1月25日の事だった。
事故で負った大怪我の療養や、精神状態を安定させたりしていた私。
それに、時間を思った以上に長くとっていた。
学校へ行っても、雪を見てパニック状態に陥る事は日常茶飯事。
貧血のように倒れたりしてしまって、皆の注目を浴びるのは当たり前のことだった。
前より人とコミュニケーションをとらなくなり、会話も少なくなった。
そんな私にとって、私と美花の事故の詳細を知っている人が、先生方と愛来程しかいなかったのが救いだった。