《クールな彼は欲しがり屋》
本日、夜遅くなる方は傘をお持ちください
「....忘れろ?」
少しだけ沢田課長の瞳が大きくなって私を見た。
「お互いに、きっと....その方がいいと思って」
あの夜のことは、無かったことにしても何の問題もない。
「お互いだと?それは、あんたの方の都合だろ。悪いが俺の性格は昔からあまのじゃくでね」
沢田課長は、ゆっくり口角を上げる。
「忘れろと言われたら、余計に忘れたくなくなる」
白い歯を覗かせ明らかに作った笑みを見せられていた。
「そんな....」
「それに実際にあった出来事を無かったことにするなんて俺には不可能だ」
「不可能ですか?」
「ああ、それに無かったことにしたら俺があんたに返してもらいたいものは、どうなる?」
「それがわからないんですけど。なんですか?私に返してもらいたいものって」
見当がつかない。
私が沢田課長に返さなければならないものなんてあっただろうか。
「少しは考えろ。そして」
沢田課長は、私の顔の前にぐいっと自分の顔を近づけた。そして、無表情のまま
「返せ」
と冷たく言ってから顔を離し私の横を通りすぎて男子トイレのドアへ向かっていく。
まだ、入って無かったの?
やはり、私が出てくるのを待ち伏せてたんだろうか。
返せって言われても。
あの夜のことを無かったことにも出来ない上に、沢田課長に借金取りみたいに『返せ』とせっつかれた。
借金取り....。
「あっ!」
借金取りという言葉で思い付いたことかあった。
おそらくあれしかない。
みみっちい話だ。
だが、返せと借金取りみたいに言われるとしたら、アレしかない。
私は閉められている男子トイレのドアを見つめた。
この店を出たら、さっさと返そう。
そうすれば明日から沢田課長に『返せ』とは言われなくて済むはずだ。
私は元いた個室へ戻ろうと足を速めた。