《クールな彼は欲しがり屋》
会社に入りたての頃は、コピーをとるのでさえ不慣れで、トナーの替え方もわからず毎日あたふたしていた。
そんな時に支えになっていたのが、幼なじみの正史の存在だ。
正史は「誰でも最初から上手くいかないよ。気にするなって」いつでも優しく励ましてくれた。
いつも近くにいてくれたから、それが当たり前みたいに甘えてた。
私の告白を受けた正史は、驚いたあと悲しげな表情をみせた。
『悪いけど、好きな人がいるんだ』と言われて、振られてからは、頻繁に会っていたのが嘘みたいに会わなくなって、連絡もしていない。
友達にも戻れなくなってしまったのだ。
「ちょっと、聞いてんの?」
「あ、うん。聞いてるよ」
「だから、慶子は、何も考えないでがむしゃらにゴールを目指しなさい」
「ゴールって?」
「やっぱり、恋愛マラソンのゴールは、結婚なんじゃない?」
恋愛マラソン。
葵によると、私はそのスタート地点にようやく立っている訳だ。
結婚か。
まだまだ先のような気がする。むしろ、自分には縁のない話みたいに考えていた。
「じゃ、頑張ってね。旗を持って応援してるから」
「何それ」
「とにかく、まず足を踏み出しなさいよ」
「うーん」
「じゃ、またなんかあったら連絡して」
「うーん、わかった。ありがと、じゃあね」
通話を終えて私はスマホをテーブルにおき、レンジへ向かった。
レンジの扉をあけて、出来上がったパスタが乗った皿を取り出した。
内袋をあけて皿に中身を出して、パスタを見つめた。
湯気が顔にあたり、不意に頭に浮かんできたのは、驚いて目を見開いた沢田課長の顔だった。
ホテル代を請求するような、みみっちい男だなんて沢田課長のことを考えて悪かったなぁ。
驚いてたもんなぁ。
引き出しからフォークを取り出しながら、ホテル代金を返そうとした私をみた沢田課長を思いだし、ちょっと笑ってしまっていた。
恋愛マラソンかぁ。
椅子に座り、「いただきます」と手を合わせた。
フォークでパスタをからめ持ち上げながら、私は唇に力を入れた。
柔らかかったなぁ、人の唇って。
そんなことを思いだして、身体全体が恥ずかしいくらいに熱くなってしまっていた。