彼の甘い包囲網
「その表情なら、大丈夫か……楓ちゃん、今から一時間後に資料室に来れる?」

有澤さんは人が集まってくるのを横目で見ながら、素早く囁いた。

私は小さく頷いた。

「じゃ、後で話すよ」

そう言って有澤さんは先にエレベーターに乗り込む。

私は不自然にならないように後から乗り込んだ。

杏奈さんに事情を説明し、一時間後、地下にある資料室に向かった。

幾つもの書架が立ち並ぶ資料室は各部署で鍵を管理している。

杏奈さんが私のために、佐波さんに上手く言って借りてきてくれた。

鍵を差し込もうとすると、内側から開いて有澤さんが私を招き入れた。

「大丈夫、確認したから他には誰もいないよ」

落ち着いた様子で資料室の一番奥の書架に向かいながら有澤さんが私に言う。

「あ、はい。
遅くなってすみません……」

「いや、上手く抜け出せた?」

「杏奈さんが協力してくれました」

「そう、良かった。
時間もないから本題に入るけど。
今、社長……俺の親父がアメリカに向かっている。
蜂谷グループとの取引のためにね」

「え……」

「内々の話だけど、ラスベガスで開発中の商業施設のことは知っているよね?
元々蜂谷グループとアメリカの企業との合同での開発だったものなんだ。
そこにウチの会社も技術を提供する形で参入することになるらしい。
まあ、今から契約や何やらにはなるだろうけれど、取り敢えずはトップ同士で話し合いという名の、腹の探り合いみたいなものだね」

「……はあ」

「この話は内々の話とはいえ、提案自体は以前からあった。
細かい条件や時期は伏せられて、といったそんな状態で、ある程度のポジションにいる人間には周知の事実だった。
で、今日慌ただしく社長が渡米。
知っている人間からしたら、ラスベガスの件だとすぐにわかる。
つまり、姉にとって有利になるんだ」

難しい表情のまま有澤さんはひとつ、息を吐いた。

「……どういうことですか……?」
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