手をつないでも、戻れない……
「奥の診察室が空いてます。良かったら使って下さい。ドクターの許可も取ってありますので」

 背後からした声に振り向くと、年は私と変わらないであろう、落ち着いた看護師が立っていた。

 長い髪をアップにして、優しい笑みの綺麗な人という印象だった。


「いいんですか?」


「ええ、クールダウンの場所が必要でしょ? なにか、納得出来ない事があったみたいだったから……」

 看護師は、ニコリと横井さんに笑みを見せた。


「ありがとございます」

 私は、看護師に頭を下げた。


「横井さん、向こうの部屋でお話し聞くね」

 私の声に、横井さんは立ち上がった。

 看護師の笑みに、安心したのだと思う。


「だって、伊藤さんが、道間違えた」

 横井さんは、そう言いながら看護師の後ろを私と並んで歩きだした。


「どこを間違えちゃったのかな?」


「駅の前を通って、本屋の前を通りたかったのに、パチンコ屋の方に行っちゃったんだよ!」


 看護師が空いていた診察室のドアを開けてくれた。


 私は、看護師に頭を下げながら、横井さんを椅子に座るよう促す。

 今は、横井さんの話しから目を逸らしてはいけない。

 看護師も分かっているようで、軽く頭を下げ診察室を出ていた。


「もう一回やり直したって、電車は行っちゃったんだよ!」

 横井さんは、見たかった電車が見れなかった事にパニックを起こしてしまったようだ。

 周りから見れば、たいした事じゃない。しかし、彼にとっては、不安でたまらない出来事に繋がってしまったのだ。

 何回も、行ったり来たりしているうちに、病院へ着く時間も遅れ、パニックが悪化したようだ。


 伊藤さんには、病院までのルート説明をしておいたのだが、きっと、深く考えてはいなかたのだろう。

 私の説明不足でもある。
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