手をつないでも、戻れない……
 アパートのエレベーターを降りると、部屋の前に人影が揺らいだ。

 目を凝らして、みつめると、ジャケットのポケットに手を突っ込み立っている彼の姿だった。


「樹さん!」


 私は走って駆け寄った。


「……」

 彼の顔は、いつになく険しい。


 私は、鞄から鍵を取り出し、ドアを開けた。


 部屋に入るなり、彼は後ろから私を抱きすくめた。


「どうしたのよ?」


「さっきのあいつ誰だよ?」

 彼の低い声が耳もとでする。

 一瞬だが胸の奥がドキっとした。


「仕事関係の人よ。ちょっと飲んで送ってもらっただけじゃない……」


「ふーん」

 面白くなさそうな声で、返ってくる。


「中に入ろうよ?」


「えらく楽しそうにコーヒー飲んでたな…… 他の男の前でも、あんな顔するんだ……」


「ちょ、ちょっと何言ってるのよ。私だって、コーヒーくらい、男の人と飲むことだてあるわ」


「そうだよな…… 俺は、あんな明るい場所で、こんな時間に、美緒と一緒にいてやれないもんな……」


「そんな事、一度だって言った事なじゃない!」

 私は、彼の腕から離れ、向きを変えた。


「分かってる…… ちょっとイラついちまった。俺に、お前を縛る権利なんて無いんだよな… 」


「樹さん……」


「ごめん…… 今日は、帰る……」


 彼は、ドアを開け出て行った。

 遠ざかる、彼の足音に力が抜け、床に座りこんだ。
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