手をつないでも、戻れない……
雅哉を呼び出したのは私の方だった。

アパートから近い居酒屋のテーブル席に、入り口を気にしながら座った。


 ガラガラと、入り口のドアが開き、店内にいらっしゃいませの声が響いた。


「めずらしいね。美緒さんからってくれるなんて」

雅哉のいつもと変わらない笑顔に胸の中が少し痛む。



「うん…… 取りあえず、何か頼みましょう……」


 雅哉は、そんな私を、意味あり気にふっと笑った。



 なんとなく話を切り出した方がよさそうな雰囲気に、私は気持ちを整えるように口を開いた。。



「私、別れたんです…… 雅哉さんのお蔭かもしれません」

 私は、笑みをみせながら静かに言った。



「ふーん。それが、前に進んだ結果ってことなのか?」

 雅哉は、気のせいかあまり納得できていないような表情を見せた。



「ええ」

 私は、しっかりと肯いた。


「それで、僕と付き合ってくれる気になった?」

 雅哉は、優しい眼差しをじっと私に向けきた。


 私は、雅哉の視線を重く受け止めた後で、


「ごめんなさい……」


 ゆっくりと首を横に振って言った。


 雅哉に助けてもらった事には、本当に感謝している。

 でも、今の私には、誰かの気持ちに答える選択は無かった。



「真面目なんだから。僕に切り替えちゃえば、楽しいと思うよ」

 彼は、本気なんだか冗談なのか分からない口調で言ってきた。

 これも、雅哉の優しさだと分かっていたが、私は自分の気持ちを崩す事は出来なった。


「多分、他の人は好きになれないと思います」


「わかんないよ。一緒にいるうちに、好きになる事だってあると思うけどな。僕は、それまで待てるけど」

 雅哉は本気で言っているのだと思う。

 今の自分を、これほど気に掛けてくれている人がいる事は嬉しいが、自分の都合のいいように相手の気持ちを利用する事など、本当の幸せじゃないと学んだ気がした。


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