手をつないでも、戻れない……
「はっ?」


「あなたが今、想っている人よ?」


「えっ」

俺は思わず目を見開いた。


 妻はふっと笑った。


「私が気付いていないと思っていた? 一応これでもあなたの妻ですから、合わせて頂く権利はあると思うけど」



妻の声は、いたって穏やかで、俺には妻の感情が分からなかった。



 本来なら、美緒とは別れているのだから、もう終わったと言うのが正しい答えだと思うが、俺の中で美緒との事は終わっていない。


例え、妻へ全てを話したところで美緒が俺の元へ戻ってくるかなど分からないが、俺は俺に出来る、いや、俺がすべき事をして美緒の前にもう一度立ちたかった……



「ああ…… だが、あいつは俺の事など忘れているかもしれない…… 会うかどうか分からない……」

俺はため息と共に口にした。


 否定しなかった俺は、向かうべき道の始まりだと決心していた。



「そう…… でも、私には会う権利があるはずよ」


 妻は、取り乱す訳でもなく、ただ、俺への視線を逸らす事は無かった。


 だが、その前に、妻にはきちんと自分の気持ちを話しておきたい。



「彩香…… 俺は……」



「ごめんなさい…… 今は聞きたくないの…… 彼女に会ってからにしてもらえるかしら……」


 妻は、湯呑を手にして立ち上がると、流し台に湯呑を入れ部屋を出て行った。



 俺は大きなため息を着いた。

 覚悟はしいていたが、思うように事が進まない事に、頭を抱えるしかない。


 美緒と妻を合わせる事は、かなり気が重い。

 次に美緒と連絡を取る時は、全て解決してからと思っていたのに、こんな形で美緒に会うとは思ってもいなかった。

 自分の考えの甘さに、呆れてくる。



 こんな状況でも、俺の頭に浮かぶのは、美緒の姿ばかりだ。


 今頃どうしているのだろうと思った時だ、美緒が「マリ」という言葉を口にした事を思い出した。



 正直俺にとって、美緒でもマリでも同じ事だ。

 結果は何も変わらない。


 ただ、美緒がマリと言った事は、彼女なりの覚悟の現れのような気もする。


 美緒がマリという名で何をしようと考えたのか気になって仕方ない。


 そんな彼女の姿でさえ、俺は愛おしくなってしまう。



 そして、俺はこれ以上妻との暮らしが出来ない事を感じていた。



 俺の胸は、非常識にも高鳴り、スマホの美緒の名をスライドした。
< 79 / 105 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop