手をつないでも、戻れない……
~美緒~

 彼と会わなくなって、数か月が過ぎていた。


会わないからと言って、簡単に彼の事を忘れられるなどとは、思ってはいなかったが、思っていたよりキツイ日々を送っていた。

 仕事の忙しさに気持ちを紛らわそうとしても、ふとした瞬間に彼の姿が頭を過る。

 彼は今頃どうしているだろうか?


 いつものように、横井さんの隣へ座り朝のルーティンを行う。

 決まった電車の時刻の確認と、好きな映画のセリフを言う。

 毎朝の事に、周りの利用者はうんざりしているが、横井さんにとっては、今日一日安心して過ごすための確認行動である。


 横井さんは、私が隣に座った事を確かめると、


「水嶋さん、おはようございます!」

 と元気にいつものように挨拶いた。


「横井さん、おはようございます」


 いつもなら、そのまま横井さんのおしゃべりが始まるのに、横井さんはじっと私の目をみた。


 あっ、何があったんだろう?

 パニックになる前に、回避しなくてはと言葉を選ぼうとした時だった。


「水嶋さん、困った時はどうしますか?」

 突然の質問に、一瞬戸惑ったが答えなければパニックだ。


「困ったと言います」

 私は、いつもの横井さんの答えを言う。


「泣いていても、何も変わりませんよ」


「えっ。はい」

 慌てて答えを返す。


 横井さんは、何も無かったように、いつものおしゃべりを始めた。


 横井さんは、私に何を言いたかったのだろうか? 

 周りの人の気持ちが分かりにくい障害を持つ中で、この言葉の意味は大きい。


 周りの指導員も利用者も、いつもと違う会話に笑いだした。

 それは、バカにした笑いでなく、横井さんへの暖かなものだった。


 思わず目から涙が落ちた。


 そう、私は困っているんだ……

 そして、泣いているしか出来ないでいたんだ。



 今、私はどんな顏をしているのだろう?


 自分では、普通に日々を熟しているつもりでも、横井さんには気付かれていたんだ。



 困っていると伝える事が、こんなに難しいのだと初めて知った。


 泣くしかできない事もあるんだ……
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