僕らのチェリー
──ガタンッ。突然、彼は近くにあった長椅子を強く蹴った。
鈍い音が耳の奥でエコーする。
「……ぅ…うっ…うう…」
消え入るような声が廊下に響いた。
しゃがみ込んで顔を隠すように丸くなった彼の背中は小さく震えている。
彼は泣いていた。
初めて見る彼の涙に、澪は驚いた。
そしてまた、鈍い音がした。
今度は何かを壁にぶつけた音だった。
床下の隅でチカチカと光るそれは彼の携帯電話だった。
「明日楽しみにしているね。
私は桜が好きでヨネ君に誘ってもらえてすごく嬉しかった。
今年の春は一緒にあの桜を見ることができるんだなあ。
なんだか夢みたい。
明日が待ち遠しいよ。
あと、明日嬉しいお知らせが一つと渡したいものが一つあるから楽しみにしていてね。
じゃあまた。
おやすみなさい。
杏奈」
ひびの入った画面にそのメール内容が表示されていた。
彼の手元に赤い長箱が握りしめられている。
それは白のリボンで丁寧にラッピングされていた。きっと杏奈先生からの<渡したいもの>だったんだろう。
中身は何だったんだろうか。
でも聞けない。
今は彼に声をかけられる状況じゃない。
小さく震えている彼の背中は、今すぐにも泣き叫びたいのを我慢しているかのように見えた。
澪は言葉を飲み込んで、静かにその場を離れた。